2021-03-06

🐾二つに分けて、生きる (4)

🐢 魂、心を大切にするとは           前にあるものの大切さ

 

  今日の話は、古代ギリシャの哲学、特にソークラテスから

出て来たと考えられる、魂を大切にする(=魂の世話)

いう考え方は、もしも、魂イクォール心  と見做すなら、

インド仏教の思想のなかにも見出される、

と言うことです。

ただ、それは端緒で、以下の話しの狙いは

別の所に有ります。

 

最初に、古代インド仏教言語に詳しい 中村 元編集の

「新 仏教語源散策」註1)からの引用を行ないます。

 

心という言葉が一心という言葉からくる、では、仏教では

一心とは何か。

 

引用です⊷⊶⊷⊶⊷⊶⊷⊶⊷⊶註2)

 

     いったい、仏教では原始仏教以来、心を非常に重視する。

    原始仏教の聖典であるダンマ•パダ(「法句経」)  次の言葉で始まっている。

   

     ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって

          つくり出される。

          もしも、汚れた心で話したり、行なったりするならば、

           苦しみはその人につき従う。――――一部省略――――

 

          ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって

         つくり出される。

         もしも、清らかな心で話したり、行ったりするならば、

         福楽はその人につき従う。―――――一部省略――

 

 

3原始仏教では、心という言葉が使われても、

魂という言葉は使われない、と理解しています。

 

魂の語源に当たるギリシャ語のプシュケーは、風です。

遠くで木々が揺れている。その揺れ方を見て、

あ、風が吹いている、と理解します。

 

ひとと逢う時、あ、風が吹いている、あるいは

風が吹いていないという視点で、

そのひとの元気さを測ります。

 

そして、人生という時間のうねりの中で、

魂そのものを美徳的なものに仕上げる(反対に、

悪徳的な魂に堕とする)、ここに、ひとの人格の

存在(=人間で あ る )が見出されるのです。

 

このことをある仕方で導く言葉が、トマスの場合、

ハビトゥスという持続の概念です

 

4 2 で引用した聖典 ダンマ•パダの詩の美しい言葉

(少しも観念的でない、素朴さそのもの)に関して、

作者 末木文美士は次の要約をしています。

 

ここで、(一)心とは、われわれの普通の心と考えて良い。

ただ、以降の仏教哲学では、心の穢れた迷いの要素を

重視し、いかにそれに対処していくのかという面に

重点を置く傾向と、

心の中にある浄らかな悟りの要素を重視し、それを

引き出していこうとする方向に分かれるのであった。

 

 

 

5 今日は、二つの仕方で、こころを大切にして生きる意味を考えてみました。

 

こころを大切にする、の向こう側に、西洋ヨーロッパでは、

徳の確立や人格の成立というポジティブな方向性を感じます。

 

反対にこれから勉強予定の仏教哲学では、人間のこころの悪から

どうやって離れるのかが、まず大きな課題なのだ、と感じました。

 

6 これまでの主題は、思想と哲学は区別されるべきだ、でした。

 

哲学は網を造れる、その網とは、

言葉を大切にすること、そしてこの目的のため、

こころを大切にしなければならない、が

今日までの考察です。

 

まだ、更に造るべき網が有る?

 

実際に、何か網を考える事が出来たら、また書きます。

 

註1)中村元編著   新 仏教語源散策  東書選書100   1994

註2)同書  196頁―200頁 参照
🙂🙃

 

 

 

 

 

 



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