@@前の『ジェルソミーナ』の箇所で、誤りがありました。御詫びします。最後の文です。
——死ぬ他ありませんでした。
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1 言葉の論理的な世界と異なり、映画というものは
何らかの飛躍を挟まないと出来上がらないように見えます。この不完全さに気付いてから映画を見なくなりました。
ところが、10分程に圧縮、凝縮されたイタリア映画「道」は、飛躍が少なったように見えます。
躰の胸の部分に巻き付けた鎖を呼吸と共に切り去る大男のザンパーノとピエロ役ジェルソミーナを注視とけば、付いていけます。
2 ザンパーノは普通の人間です。
自分中心に世界を見て、そして何とか食べて行けたら良い。
自分の感覚や欲求に正直なひとであり、逆に言えば、自分以外のひとを大切にして生きることは思いも付きませんでした。
3 ザンパーノの眼が不可解な動きをする事が有りました。修道院の外でシスターが居る近くで、ジェルソミーナがトランペットを吹いた時です。その時には上手に吹けたのです。
ザンパーノが知らない良い意味でのジェルソミーナがそこに
居たのです。
4 だれも居ない夜の砂浜でザンパーノは泣き崩れる場面がありました。
口に出して言いませんでしたが、ジェルソミーナを愛していたのです。
5日本語で『死なせてしまう』という言い方を聴くことがあります。例えば、妻を死なせてしまった。そのこと自体は
聴き流してしまう表現ですが、その根底に《もっと愛すれば良かった、だけど、しなかった》という後悔が強く流れて
いるとすれば、聞くのが辛いです 。
だけど、ザンパノの気持ちはそれではなかったでしょうか。