2022-11-28

🎊想い出の世界 (1)

1 私が変わっているせいか、よく使われる日常的な言葉に理性という
言語が欠けていることが
不満であった

決して、日本人の理性が十分でない
と思わない。だけど生活のなかで
理性的 非理性的という言葉が
使われることがとても少ない
と思う

最近は、自己のある を定める働き
としての理性よりも、より根源的
な理性の働きがあるのではと、
考えるようになった

2 それが、過去を想い出す記憶
の力である。つまり、過去に
したことを想起する、そして
その想起にあれこれが加えられ、
生活の方向を定める理性の
活動が起こる

過去を想い出す想起の力と
自己の在り方を定める力は
ひとつで、決して
切り離せないが、前者の
理性を以前、どこか忘却して
いたのでは、と考える

3 若い時には、その想起される
過去がより少ないままに、理性
の働きが必要になり、
魂が大いに動く

古代ギリシャ語でその元の言葉
は風を表すプシュケーであるが、
若い時には大いにそのプシュケー
が吹く(吹きまくってしまう?)

青春、青春時代がそうであろう

4 けれども、歳を重ねると
魂の自己を定める力は弱くなり、
想起する力はかえって強くなる

理性の働きから言えば、青春の
時代の理性が後退し、青春時代
後、想起するという理性が
前面に出ることになる

続けます

2022-11-20

続 ハビトゥス探究の始まり 8

1「健康」とは何でしょうか?

健康の考察も、病気と同じように
考えて良いように見えます。
つまり、

あ>ある病気の状態が癒された状態
或いは、ある病気が治ったが
 別の病気がまだ治っていな い。
 それゆえ、健康とまでは行かない、
 まだ健康だとは言えない状態です

い>dispositio としての健康
  普通、ここで健康が理解されます

う>habitus としての健康
 病気をしたことのない人間の
ことを考える?
何か神的な健康を考える必要が
 出て来ます



2 ところが、トマスの考え方は
決して、上に出している健康 観
ではありません

と言うのは、まず
う>のhabitusは、健康に対する
過信から出て来るもので、自己の経験
主義的な主張の反映でしない、と
推察されます

3 それでは、他の い>は何処が
間違いなのでしょうか。

そのことを語るには、
substantia ipsa habituum の
ハビトゥス(複数形)の本質そのもの
・存在そのものに関わる問題が
付帯し、今ここでは語れません、
遠回りする必要があります

4 ただ、ハビトゥスを稲垣先生流に
習慣と訳さないで、持続と訳した私の足場が大部、しっかりして来たのではないでしょうか。

ハビトゥスが、広い意味では
安定していない持続、そして
厳密な意味では安定した持続である
ことを、矛盾した表現であると
考える必要がない訳です

5 存在そして状態と言い方をしますと、存在と「マイナーな存在」と
しての状態と言うように、そこに
ある系列を考えることが出来ます


人間は身体と魂から成ります。
で、病気も健康も身体的な出来事に
属し、謂わば流れるような状態
として把握されます
ところが、魂の状態は善の場合、
存在であると理解されます

続けます

秋の紅葉5

市が運営する福祉バス🚍️から
撮りました

春の五月のツツジの時以上に
カラフルな季節です

落葉がピークで、地面に
ワインカラーの溜まった
落ち葉が風が吹く度に
揺れています

2022-11-19

秋の紅葉5

筑紫野市の福祉バスの中から
撮ったものです。
帰路、家の近くの景色です

紅葉は今、ピークで
ワインカラーの落ち葉が
地面を埋める程です

春はツツジが地面を飾ります、
だけど、いまの秋は春以上に
カラフルな季節です

続 ハビトゥスの探究の始まり 7

1 Disposition を、持続の視座で再把握しますと、

安定に至っていない持続と反対に、

安定に到達している持続に分かれます

 

安定の安定性をより明確にする為に、

比喩をもちいますと、

dispositioや habitusの 在り方をする

「病気」が考えられます

 

2 次のような病気の理解をしました

 

あーdispositioでもない病気、 また

  Habitus でもない病気

いー安定してはいない病気

うー安定している、治らない病気

えー危篤状態

 

3 い の安定してはいない病気の状態とは、

時たま病弱になる時に、原因が不明だが

病気だと思われる状態です

う の安定している、治らない病気とは、

原因が分かっていて、その治療法がない

または治療困難である状態です

え の危篤状態 とは、死と一線を隔す状態

 

4 病気の理解を上の様にして、

dispositio と habitus の 区別は

はっきりしましたでしょうか

 

それでは、「健康」とは どの様に

考えたら良いでしょうか。

 

続きます

2022-11-14

秋の紅葉 4

家から少し登った所から
下り坂の方向にシャッターを
切りました

2022-11-04

❔ハビトゥスの判り難さ  続ハビトゥス探究の始め6👐

1 ドミニコ会のガリグ ラグランジュ 註1)が 「理解し難い」と言った
トマス の habitusの概念を、一度だけ
去る7月にわたしのBlog掲載時、habitus から dispositioを眺める
仕方で、言及したことが
ありました

それじぁ  今度はdispositio から
habitus へ視線を向けてみたら
どうなるのでしょうか?

2 そのラグランジュの英訳本は
habitus を英語のhabit と
訳していました。

最新の翻訳(インターネット訳)の
University of Notre Dame 版 註2)
でも 、habitus を habit と
訳しています。2022年に神学大全
の完訳したばっかしのものです

わたしがそれらの訳が良くないと
思うのは、前に述べたように、
行為主義的な意味でしか使われ
ない 英語のhabit には「存在」・
「魂の存在」の視点が欠けている
からです(これから先意識的に言及
します)

3 これに対して、イギリス
ドミニコ会から 出ている
神学大全 の訳で、
アントニィ ケニィ Anthony Kenny
は、彼の翻訳担当の(49問ー54問)
の一冊(全60巻のうちの第22巻)を
Disposition for Human Acts と
いう題名にしています

4 確かに 英語の habit に見出される
習性、癖という行為主義的な
意味を避けるだけでなく、
トマスのハビトゥスの reality を、
大切にしていて、その点では
良い題名だと思います

実に、トマスのハビトゥスの
reality とは、この前の前回に述べた 

「むしろ、トマスのhabitusについての考察の端緒は、4つの質のなかでの 第一の質である diathesis と hexis の両方を含むものとして、しかも diathesis
に力点に置くものとして現れて来ます」

の他に、ないからです

5 次回、判り安い比喩を使って、
dispositio, habitusをより易しい
理解にしようか、と考えます


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註1) Beatitudo A Commentary
on St.Thomas Theological Summa,
Ⅰa Ⅱae. qq.1-54 by R.GARRIGOU
-LAGRANGE, O.P.
translated by PATRICK CUMMINS 
p.339  

註2) New English translation of
Thomas Aquinas ′s Summa Theologiae by Alfred J . Fredoso
University of Notre Dame
Pars Prima-Secunda


💣前回の誤りです。3つありました

💚トマスの habere の哲学2💚
5 (12行目)  ははある→ ある
6 「反分有的な」な→「反分有的な」
7 「メタィジカ」→「メタフィジカ」

💣💣