1 私が変わっているせいか、よく使われる日常的な言葉に理性という
言語が欠けていることが
不満であった
決して、日本人の理性が十分でない
と思わない。だけど生活のなかで
理性的 非理性的という言葉が
使われることがとても少ない
と思う
最近は、自己のある を定める働き
としての理性よりも、より根源的
な理性の働きがあるのではと、
考えるようになった
2 それが、過去を想い出す記憶
の力である。つまり、過去に
したことを想起する、そして
その想起にあれこれが加えられ、
生活の方向を定める理性の
活動が起こる
過去を想い出す想起の力と
自己の在り方を定める力は
ひとつで、決して
切り離せないが、前者の
理性を以前、どこか忘却して
いたのでは、と考える
3 若い時には、その想起される
過去がより少ないままに、理性
の働きが必要になり、
魂が大いに動く
古代ギリシャ語でその元の言葉
は風を表すプシュケーであるが、
若い時には大いにそのプシュケー
が吹く(吹きまくってしまう?)
青春、青春時代がそうであろう
4 けれども、歳を重ねると
魂の自己を定める力は弱くなり、
想起する力はかえって強くなる
理性の働きから言えば、青春の
時代の理性が後退し、青春時代
後、想起するという理性が
前面に出ることになる
続けます
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