2022-05-22

太宰府市を北東に望む

池は 左向こうに県立高等学校、右手に天拝小 を分かつ

最近、偶然、小学校が創れた時、
養護の視点でも創られた、と
いう情報を得た

養護、支援と言葉が身近になった

6月から 要養護4から要支援2に変わる

2022-05-20

もうすぐ運動会

住んでいる団地の中にあって、
一番大きな公園が 中央公園で
ある

福岡県の中でも大きな公園に属するように思われる、しかも、
高い所、貯水池に囲まれている

最近、朝起きたら、手押し車で
天拝小学校前を通って、中央公園
まで散歩に通っている

2022-05-17

ハビトゥス の探究の始め 《3 》

ousia  にせよ、substantia  にせよ、哲学の場面で

一番、問題となる 存在 ある を考えようとしています

 

もう少し、話を絞ります。

言表の場面では、言語の使われ方に気を遣りますと、

述語的な動詞の位置に、このあるが 来ることが

有ります

 

例えば、   美しくある    美しい    という時、

私達はまず、 美しい という述語的な表現に気が行き、

何が美しい  かは二の次であることが起こります

 

美しくある 美しい  と言ったまま、何と、黙りこくってしまう

美しいと言った後で、言葉で主語に言及する

  (例―  美しい、あの顔は )

 

  この言い回しは、まず 主語なるものを措てて、

その後に、述語的な言表を 加 え る

表現とは区別する必要があります

 

モナリサの絵は 美しい、と言われる

 

ここでは、レオナルド ダヴィンチをあるヒトが

知っている。その レオナルド によって描かれた

モナリサは、魂の美というものを描くのに

成功している、だがしかし、その前、その後の

美術史でも こういうことはなった

 

3 トマス・アクィナスの考察に戻りましょう

 

ハビトゥスの考察においても、上の 1での 述語的な言表に

おいて    トマスの substantia が使われていることが、

決定的に大切です。

 

実体 という日本語があります。

井出 隆  元 東大教授によって ousia が初めて訳された言葉ですが、

この訳はよくない 日本語です。わたしが、今日の話で、

述語的な言表という言葉を複数回、使ったのですが、

そこでの ousia  substantia  のレベルとは、

区別されなければなりません

 

稲垣先生は、神学大全 第二―  一部、 第49 問題以降の

日本語訳の 担当者 ですが、

Substantia を 本質 と訳しておられます。

 

続けます

 

 

 

 

 

 

 

 

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2022-05-16

太宰府、朝の散策

ウクライナの子どもたちが心配だ。

心配だと言って、ウクライナのことを
何か、知っているのでもない。

映像で見る限り、綺麗な街並みで、
住んでみたくなる世界だ。


写真は、自分の好きな詩が
飾ってある場所を撮ったものだ。
すぐ、左に本物の石碑がある。

山上旅人、山上憶良の詩が歩いていると、
たまに眼に入ってくるが、
子供を讃えるものはここ、学業院跡だけだろう

2022-05-14

ハビトゥスの探究の始め 《2》

  ある言葉がある、その言葉を目の前にして

何かを問う、これは 普通  誰でもやることです

 

habitus について トマスが 問うと言えば、日本語で

habitus についての本質そのもの、になると

考えたくなります

 

ところが、そうならなくて、複数の

habitus について、それが何かを問い始めています

 

2 これから、長いこと 探求が予想される

habitus について、最初の頃 articulus

いきなり その本質そのもの 何かは

有り得ない、と考えられるのですが、

しかし、

複数の ハビトゥスをいちいち、念頭に浮かべて

それが 何かを語りだそうとする

トマス・アクィナスの光景とは

明白では有りません

 

  なお、注意を払えば、あと一つ補足が

必要です。

本質と訳しています substantia について、ギリシャ語 の

ousia  との関わりですが、ens substantia

ある を 表わします

 

ある に関して

一般的で広い意味の ens   これに対して、

厳密で狭い意味での 使用方が substantia  です。

ギリシャ語では、ens on    substantia 

ousiaが対応しているのです

 

 

脱線しますが、あるの 代わりに、普通は

存在 と 訳されるのですが、存在が日本語で

広まるのは、ごく最近のこと、この100年足らずです

 

ハイデガー の 著作 Sein und Zeit  の 最初の訳では

有 と して出てくる言葉です

 

ある  は実は、限りなく私達からは遠いのです

 

続きます

 

 

 

2022-05-08

ウクライナの子供達の幸せを

https://youtu.be/-hmE02eRU2c

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ハビトゥス の探究の始まり 《1》

   トマス・アクィナス Thomas  Aquinas  の神学  大全 

Summa Theologiae     三つの パートに別れて居ます。

 

その 第二部の第一部 ( 第二部の中で  第一部と 第二部 と

更に、小さく分かれます)の第 49 問題 において

繰り広げます ハビトゥスについて最初に 見出される

問い quaestio  は そのまま ラテン語の表示で

De substantia ipsa   habituum です

 

  substantia そのもの、  ハビトゥスの  っていう語の

並びですが、属格genetiv の形を取る habitu um

気が行かれたでしょうか ?

 

これが少し、変にみえるのは、諸々という複数形の

ハビトゥス について substantia そのものを

ここ、49問題で問おうとしているからです

 

  僕が 不思議に思うのは、決して

単数形 ハビトゥス について substanti そのものを問うでなく

複数形のハビトゥスについてsubstantia そのものを

トマス・アクィナス が問うていることです

 

続きます

 

 

 

 

 

2022-05-01

〖〖〘〘草中心の生け花〙〘〖〖

柿の葉ほどひとに優しいものはないだろう(写真の右)

 

ところが、家の敷地内には植えない方が良いらしい。

昨日見た  Youtube  では  その植えない方が良い木が

五つのうち三種類もあった

 

クレスタ、桜の木、柿の木である

 

桜、柿共  枝を拡げる。或いは拡げ過ぎる。

クレスタは上に伸びすぎて、切ることが出来なくなる

 

柿の木は一度切った箇所から、

また芽が吹いて来た、勿論まだ  柿の実はならないが

でも、柿の葉っぱは陽に乾して

お茶の形で飲料用に使うことが出来る

 

とにかく、触ると葉っぱが繊細でデリケートな感じだ