2022-05-17

ハビトゥス の探究の始め 《3 》

ousia  にせよ、substantia  にせよ、哲学の場面で

一番、問題となる 存在 ある を考えようとしています

 

もう少し、話を絞ります。

言表の場面では、言語の使われ方に気を遣りますと、

述語的な動詞の位置に、このあるが 来ることが

有ります

 

例えば、   美しくある    美しい    という時、

私達はまず、 美しい という述語的な表現に気が行き、

何が美しい  かは二の次であることが起こります

 

美しくある 美しい  と言ったまま、何と、黙りこくってしまう

美しいと言った後で、言葉で主語に言及する

  (例―  美しい、あの顔は )

 

  この言い回しは、まず 主語なるものを措てて、

その後に、述語的な言表を 加 え る

表現とは区別する必要があります

 

モナリサの絵は 美しい、と言われる

 

ここでは、レオナルド ダヴィンチをあるヒトが

知っている。その レオナルド によって描かれた

モナリサは、魂の美というものを描くのに

成功している、だがしかし、その前、その後の

美術史でも こういうことはなった

 

3 トマス・アクィナスの考察に戻りましょう

 

ハビトゥスの考察においても、上の 1での 述語的な言表に

おいて    トマスの substantia が使われていることが、

決定的に大切です。

 

実体 という日本語があります。

井出 隆  元 東大教授によって ousia が初めて訳された言葉ですが、

この訳はよくない 日本語です。わたしが、今日の話で、

述語的な言表という言葉を複数回、使ったのですが、

そこでの ousia  substantia  のレベルとは、

区別されなければなりません

 

稲垣先生は、神学大全 第二―  一部、 第49 問題以降の

日本語訳の 担当者 ですが、

Substantia を 本質 と訳しておられます。

 

続けます

 

 

 

 

 

 

 

 

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