2019-12-30

時という概念の拡がり    時間と時   1回目


🏣
1 普通、時という言葉は、時間の単なる長さを意味する、つまり
時間の『量的な』拡がりとして理解されます。

これが、時という言葉が使われる基本的な使われ方だと考えられます。

そして、補足すれば、わたしの、そしてひとの過去の経験を語る際、
この基本的な言葉の使われ方を中心に置いて構わないと考えます。


2 これから、量的な拡がりとしての時とは別の意味での「時」を考えます。
つまり、ある『 質 quality 』を伴う、ある質を持っている時のことです。

そして、これまで言及しています(したがって限定されて来ている)文化との
関わりにおいて、特に質を伴う時が見出される文化が有ることを
次回以降に指摘したいと考えます。



3 これまで時間とは、秒刻みの流れ、現在の日常的な幅を持つもの、
そして未来への志向性を包括する言葉でした。
そして、秒刻みの時間と日常として現在の考察に重きを置いていて、
このなかで持続、持続性を考えて来ました。

さて、新しい意味で用いている「時」の言葉の使われ方を考えますと、
歴史のなかで、次の時の使われ方、一例を発見します。

   いまは時  あめが下知る  五月(さつき)かな     
    (天正10年 5月28日 ある場所で詠われた明智光秀のうた
     ちなみに、本能寺の変は同年、6月2日に起こる)

      🚩『下知る』とは命令する、の意味


4 ここでの『時』は、明らかに量的な意味ではなく質的な意味で
使われています。

日本語には、『旬の時』と言う表現がありますが、この言い方は
まさしくやって来た、という時間の高まり、時間の集中を
意味する為に用いられます。

続けます。
🗻

2019-12-15

イギリスの離脱を説得的に語る ブログ再放送

🏟️
前置き: イギリスの下院の総選挙の結果が、判明しました。
ボリス ジョンソン首相が率いる保守党が圧勝しました。
ジョンソン首相は、EUから来年一月いっぱいで離脱予定(実際は一年間の
移行期間があり、早くて再来年一月いっぱいが正確な離脱期限になります)。

次の記事は、2016年に起こったイギリスのEU 離脱の出来事に対しての
ある新聞記事の要約と感想です。
「再開 新しい微笑いの詩」2017− 02−25よりの再放送に手を加えています。

どうして、イギリス(キャメロン首相の際)の国民投票(2016年)で
離脱賛成が多数を占めたのか。




1 イギリスのヨーロッパ共同体から離脱のお話しです。

世界がある分岐点に立っている?



イギリスのEU離脱の原因に踏み込んだ記事をやっと、2016年
7月3日の日曜日の日本経済新聞の第一面で見付けました。

離脱の出来事そのものの驚きより、離脱の出来事の原因に
スタンスをシフトした、あるクールな驚きに関わるものです。


記事は対談、記者がある学者に質問する形を取っています。
そのフランスの歴史人口学者 トッド(Emmanuel Todd)さんの
論点は、新聞記事の冒頭の次の言葉に要約出来る感じです。

ーーー 歴史的な循環の始まりだと思う(歴史の流れが変わるのか?)。 



2 以下、補足した仕方でこの記事をまとめてみました。

前回の循環は1980年代、新自由主義が現れた頃、グローバル化で
国家や社会の境がなくなる夢があった。
 
この夢がアングロアメリカの世界で終わった。

何故なら、アメリカ共和党の大頭領候補のトランプ氏は、保護主義を掲げ、
移民問題を普遍化しているからだ。
グローバル化は、アメリカではその中間層に強い痛みをもたらして
いるからだ。


3  イギリスの EU離脱はグローバル化が進み、社会の苦しみが耐え難い
水準になったからであろう。

EU崩壊のプロセスが始まった。その断裂は西側世界の断裂だ。

ーーーーーーー




4  うまく、整理出来ているか疑わしい(今でも当時まだ当選するか、どうかが
判っていなかったトランプ候補の話を中心に据えて、話を推し進める
トッドさんの論理思考に対してはひっかかり、他の語り方は
なかったのかと思います)ですが、
トランプ共和党大頭領候補の登場に必然性を与えているのが、新鮮でした。

ひょっとしたら、マスコミメディアの世界に居る誰もが信じていない
トランプ氏がアメリカの大頭領になる?
まだ、こうした把握のマスコミの記事はほとんど見かけませんが、
一考に価すると考えました。



□現在(2019年12月)の感想。マスコミの世界は、インターネットの記事を含めて
怠慢を続けていると考えます。
適切な意味での グローバリゼイション の考え方を示す時が来ているのに、
無能な感じです、2016年の離脱の出来事から 3年も経っているのです。

単に事実を正確に伝えるというマスコミの使命にへばりついている?
視野が狭いのじゃないか、と考えます。

極東の島国住民であるわたしたちにとって、グローバル化とはまだ、
他人事かも知れません。でも、イギリス首都のロンドンの人口は、
ポーランド人をはじめ外国人の比率が約50%を占めていると言われます。

東京がもしも、そうしたグローバル化した都市になればどう成るのかなぁと
想像します。
🗻

2019-12-01

長崎市県営野球場




🏔️🏔️
去る11月23日、何十年振りかでローマ法皇が日本にやって来て、次の日の日曜日に
長崎市松山に有る野球場でミサが行われることになっていた。

24日の当日の早朝は、一週間に一回通っている教会の近く、3号線沿いに
大型バス一台と小型のバス一台が待機していて、朝8時に太宰府市を出発、
高速道路を通って、長崎平和祈念像のある平和公園の地下駐車場(広大な広さ!)に
潜り込んだ。

そこから歩き出す、バスの中で雨合羽を着て、ミサが行なわれる会場の野球場へ途中、
持ち物検査を経て、約20分程歩く。傘は厳禁。
大変なひとの数で、しかも長崎市内は雨。
ほとんどのひとは雨合羽姿だった。

10時半前に、野球場の指定場所である二階3塁側の内野席に登り着く。
座って、妻とあと一人の教会の女性と三人で、ミサの始まる時間まで待つ。

12時前に、雨が止み、段々青空が拡がっていく。
妻の左側に座られた純真のシスター二人の話しでは、日曜日朝、
長崎市内は豪雨だったとのこと。

ローマ法皇が司式なさる位置は、野球場の造りでは
外野のセンターに当たる場所だった。私たちの位置からは
座って左方向を見る感じだった。

空は雲一つない真っ青になり、しかも暑い感じの展開になった。
雨合羽の下に冬の寒さを予想して厚着の僕は汗をかくことになった。



フランシスコ法皇が、ライトの方からオゥプンカーに
立つようにして現れたのが13時半前だった。車は、3塁方向へ進み、
私たちの前で右に約90度曲がり、司祭200名以上待機する司式会場へ入る。

また何分か後に、ライトから車で法皇は現れ、今度は司式会場の真中を進まれた。
法皇のすぐ後ろで立ち姿の、video 撮影カメラマンの真剣な動きが眼に入って来る。
大型スクリーンに同時中継だ。

バックネットの後方、最高部椅子に空白が見えるだけの約3万人の出席者
(グランドの椅子に座っているものとスタンドの固定席に座っているもの)の歓声が
最も大きくなったのは、こうした場面だ。


御ミサは、教会の毎週日曜日のそれとは異なり、荘厳なものだった。
わたしたちはフランシスコ法皇の御顔、躰の動きと大型スクリーンに
写り出された文字を観ながらミサに与った(法皇自身が話されている
スペイン語の翻訳?)。

ただ、センター方向からの太陽の光が僕の眼に入って文字がよくみえない
(今日の12月1日教会のミサ後に、プリントアウトされた説教内容を入手)。

説教後の聖体拝領は、グラウンド内の信者に限られ、わたしたちは御ミサ
終了後になる。

それから、球場を後にして太宰府市に帰り着いたのは、20時前だった。
球場を出るのが大変だった。聖体拝領が二階席の出口で行われたからだ。

ちょっとでも眼をあらぬ方向へ向けたら、迷子になる可能性があった。
妻が紅い旗を手に持っていて、それを目安にして私達三人は進む。身動きが
出来ない雑踏に居る?

バスにやっとのことで辿り着くと、長崎平和祈念像の公園に歩いて帰れなかったひとが、長崎駅から電車で帰る!と電話してきたことがあった。

大変な日が終わった。だが、ヨハネパウロ二世の時の長崎は、寒さが
特別で、凍りつく日だったらしい。まだ、マシだったのだ。

それでも、妻と僕は、次の日から風邪薬を飲み続けることになる。
今日は飲まずに済んでいる。
🏞️🏞️