2022-07-30

⭐完全さという言い方 2

1「人間はなにも知らないのに
かぎります」

「私は何も知らない人間の仲間です。
何も知らなければこそ、参謀総長に
もなり、陸軍大臣にもなり、大警視
にもなり、はなはなだしきは、
文部大臣にもなりました。
何も知りませんから、どんなところ
へも向きます」

「まことに重宝な人間でございます」

2 司馬遼太郎 坂の上の雲 の
一節からの引用である 註1)
この 坂の上の雲 4 という小説は、
日露戦争(1901~1904)の戦争
そのものを描く。


バルチック艦隊がロシアの
ペトルブルクを出港して、はるばる
アフリカ大陸の南端を通り、何と
日本海まで進み、そこで迎え撃つ
日本海軍との戦いを描いた小説
である

何と現代では、unbelievable な
小説である

だが、小説はその直前、旅順での
激戦を描く。
無能な司令官に代わり、一時の
司令を遂行する児玉源太郎、
彼の悪戦苦闘は、涙なしでは
読めないのだ

3 書き出しの大山巌の言葉註2)は、
私達矮小な人間を笑うようで、
何ともすがすがしい。

「私達の行為」の多くは、今日、
知っているという習慣に支えら
れているのですが、
しかし反面では、
「私達のあること」はある空洞の
ままです(また、知らないままです)


4 私の足は、その股関節部分に
まだある空洞が残るのか、
右足を少し引きづる感じです。

バス停で、座ったら?と言われる
ことが有りますが、暑くても、
立ったままです。
座ると、足が弱くなる感じです。

終る

註1) 司馬遼太郎 坂の上の雲
  文藝春秋社 2004年
註2) 同書 102頁 103頁
 
💸ごめんなさい
訂正を忘れていました。

7月12日分は次のように直します
トマスか? 
(変な日本語になっています)

2022-07-24

完全さという言葉 1

1時間を拡げて考えてみるならば、
生の目的と呼ばれるものを思い
つかないひとはいないだろう

しかし、このことは慎重に考える
必要がある



普段、会社勤めをしているひとは
日々の自分の仕事を、その都度
片付けていくことが求められる
だろう。
そこでの支配的な価値観とは、
完全さかも知れない

ひとつひとつ、自分に与えられた 
仕事を確実にミスをしない態度が
ないと、上司から信用を得ること
は出来ない

2 しっかりと、仕事をこなす生き方は
自己を高めることに繋がるが、
そこから、更に人生の目的とは何か?を考えることは、何か難しいことに
見えて来る

そもそも、時間、空間に限られた自分の仕事は、何日何時までに成し遂げることが課題になっている。

これに対して、人生の目的とは、
そうした時間、空間の枠から自由になっていて、その場面でこそ
この目的については考える必要が
あるのだ

だけど、第一、人生という言葉が
自分にまだ真に迫って来ないのでは
ないか

人生という言い方が自分に取り、
据わりが良くなるには、長い時間が
必要だ

このことだけでも、人生の目的という言葉は
意識になかなか、登ってこないように見える。

2022-07-18

💘💤まだ分からないこと(2)

1変な日本語であろう。前回の
存在のある、という表現である

でも、考察の流れとしたら、
仕方がないのだ。言葉がある、
その言葉のあることに向かう、
でも言葉を言葉たらしめている
のは、その存在である

だったら、そのあることが問題に
なる

だけど、存在をあると考えると、
あるのある となって、ますます
変である

2  次のように考えてみれば、
少しは明るくなる。

存在という言葉を、魂の存在と
限定して用いることだ。それ以外
の意味では使わないことだ

そして、魂の存在とは魂の経験を
意味する。ここが大切なところだ

3持続した仕方で、私達の魂が
経験しているものに眼を向けて
みたら良い。
思慮に代表される所のさまざまな
善、またこれと反対のさまざまな
悪徳

わたしは、habitus を通して 
魂の完成した状態 perfectio
とこれの反対の状態を描くことが
トマス・アクィナスの哲学の目的
ではないかと観ている

2022-07-13

中央公園での my room

通学中の生徒や高校生(殆どが
格好よい自転車)を避けて、
7時前か、8時30分過ぎに
公園に入る

月曜日は掃除のひとが入るから、
10時過ぎに行く、が一番
ひとが見えなくなる時間が
10時からお昼までだ

 💘💤今も分からないこと

1ハビトゥスとは何かを、問うのに
「ハビトスで あ る」は何か?を、
問わなければならない。

一般的に言えば、Aとは何かとは、「Aである」とは何か?を問わな
ければならない?

2 アリストテレースと共に、
日常的な言葉に焦点を当てた
トマス。
そこから、アリストテレースと
共に哲学の意味合いを変えて
しまった トマスかかげか?か?か

トマスの思考の根底にあるもの 
に眼が行くが、そこへ収斂する
それが浮かんでこない

3 言葉を言葉のあると一緒
に考えたひとか

しかし言葉には存在がつきまとう。

では、存在を存在のあると一緒
に考えて生きたひとか

4 存在と言葉の二つがトマスの
哲学の要であろうが、
これと分有が如何なる仕方で結び
つくのか

あと、10年掛かりそうだ!

続けます

2022-07-11

続 ハビトゥスの探究の始め 4

  考察の端緒 —  既述している

  広い意味での ハビトゥス —— ここからが新しいーー

 

1トマスは 「ハビトゥスである」とは、

何であるかをまず、広い意味で探究していくが、

この眼目は、そこからハビトゥスが派生した

そ れ としての  『持っている habere』の

言語使用 に関わっていました

 

つまりどのように  habere は 用いられるか?

 

この分析のなか 持っていること が 、

A)何か あ る も のを持っている 

B)  何かあるものを持つのではなく、

自己を持っているse habere

  分けられることが 指摘されるのです

 

そして、この B)の方の分析において、より深く、

持っているが 『あるものが 自分自身に対して、もしくは

他のものに対して、何らかの状態にある』と言われる

場合に 、ハビトゥスが 質 qualitas  だという理解が

出てくるのです  49問題 第1項)

 

2 トマスが、habitus そのものの 言語使用に

言及するのは 第2項 であります

 

トマスはここで、ラテン語の habitus

どの様に使われているかではなく、むしろ

アリストテレースの質としてのhexis に向かい、

それがどの様に 使われているかを注意する

仕方で、自分に固有な habitus

確立しているようです

 

続きます

2022-07-07

続 ハビトゥス探究の始め 3

(前回続き2から始めます)

1次のように考えてみました

よく経験することの中で、
次の言語の言表に与かることが
起こりますが、気付いて居られる
でしょうか

美しい、しかし、その美しいものは
何だ

これは、あるものは美しい、と
いう表現が、述語部分の
美しいに集中、その後に主語に
気が赴く場面である

普通の論理が、壊された形で
あるものは美しい、が成り立つ。
例えば、美しい、あの演技は!と
驚く場面である!

普通の論理であれば、あるもの
(複数)は美しい、の一部面で
しかない。驚きのない場面で
ある

2  さてハビトゥスとは何かを
問うトマス・アクィナスの態度
とは、「あるものがハビトゥスで
ある」とは何かである

あるもの が消えたかのように、
「   ハビトゥスである 」、
とは何であるか
を問い正して行く

但し、規定された意味を持つ
ハビトゥスの主語としての
包括的なあるものについての
考察は、神学大全 第二ー一部
51問題から54問題で行われる

共通的な意味でハビトゥスで
ある、とは何であるかを
答えるもの、 これが
substantia ipsa habituum
であろう

続きます

2022-07-02

正確さへの執念

1 三浦哲郎作 師・井伏鱒二の思い
出を読んでしまう註1)

よく知らなかった井伏鱒二の
人柄が良く描かれているのだ

先生は、将棋が好きなのだが、
将棋のなかで取ったコマは
全て、防御に使う。守りを
しっかり固める将棋をなさる

 
2 1961年に 忍ぶ川(がわ) で
芥川賞を取った三浦哲郎の
上の著作で、記憶に残った
言葉に 正確さへの執念みたい
なもの がある

井伏鱒二の生き方を言い表して
いる、と考えるが、作家と言う
より哲学者みたいだ。

3 一度読んだ 忍ぶ川 を
再読してみようと思う。
貧しさとそれにめげずに生きて
行く人間を描く小説家は
今日、いないかも知れない



註1 三浦哲郎(てつお)
師・井伏鱒二の思い出
新潮社  2010


💣前回の誤り
通りすがりが正しいです。
通りすぎりは良くないです

通り過ぎりに見つけた花

この季節、明るい色、華やかな色の

花を見つけるのは容易では有りません

 

花に集中する、その集中の間、

驚きとあり、僅かな時間  わたしは

この世の嫌なことを 忘れるのです