1 日本語で 質 という言葉は、主に生末期の人間の生の在り方について言及し、その点全体的なものを指す表現だと思われます。 人生末期的質の向上 が私が思い付く言葉ですが、ただ使うひとが限定され、何処か観念的な響きを否定出来ない言葉です。
これに対して、部分的なものを指す 質 を考えてみましょう。
アリストテレースのカテゴリー論の中での質は、10あるカテゴリーの中の一つです。その10個とは、
1それ自体的存在 2質 3量 4関係 5場所
6 時 7躰およびものの位置 8所持 9能動 10受動 です
2 1のギリシャ語のousia は実体という言葉を避けています。物理学的な訳で、私は
それ自体的な存在 という訳に直しています。
そのそれ自体的な存在としての私は、²質として頭が悪く、³量として170cmの背の高さがあり、⁴男の存在である。そして⁵日本の福岡県の筑紫野市に住んでいます。
⁶今、時は 六月二日。⁷椅子に座ってパソコンを操作してます。⁸今持っているものは千円札が二枚です。⁹能動は息をしてます? ⑩受動は、今右脚が痒いです。
3 このなかにある質を考えますと、その 質 とは、 どの様にあるか が元の意味です。そしてその質は4つあるとされます。①性向と様態 ②生得的な能力と生得的な無能力 ③受身と受動 ④形姿と似姿 がその四つです。
私が解らないのはその4つの並び方、その順序が判らないです。
例えば、①人間の身体について
持続的安定したもの(治りにくい病気)と安定しない症状としての病気の存在を考えるとしてみます。
すると➁生まれつき眼は良く見えるが耳が聴こえない また ③ 足が少し曲がっていて ④健康的な姿をしていない というような順序を考えていいのでしょうか。
アリストテレースは①②③④を、どの様な思考に基づいて並べているのでしょうか。
次回、アリストテレース カテゴリアイのテキストを観てみましょう。第二の質、第三の質、
第四の質を翻訳したものを観てみます。
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