2021-01-17

表題:痛みが続く

          

 

痛みが続く(続くとは、の補足)

続く  という言葉は二つに分けて理解する必要があります。
1)続くの主体、主語に当たるものが終われば、つまり終点に到達すれば、                    続くというそのこともまた、全体として終わる。

(2)   (1) とは異なり、続くがあると一つになった仕方で融合している。


この二つに分けた仕方で、前回 12 20 日分の考察は、上の(2)に焦点を当てました。
確かに私が出していた人柄や人格の例の場合、主語に当たる中村さんが                        死んでしまえば、その続くということが終わります。

中村さんは死んだから。

言葉の上での表現が、
『中村さんはおっちょこちょいである』、が
『中村さんはおっちょこちょいで  あ っ  た』
に変わるのです。

ところが、会社の株式上場の場合、上場が終わっても、
必ずしも会社がなく なる訳ではない。

3
『富士山はあり続いている、富士山はある』の場合、確かに富士山がなくなる時には、『富士山はあるのではない、富士山はあった』、になります。

だが、よほどのことがなければ(この世の終わり?)
富士山がなくなる、とは考えられない。

何故なら永続するものだ。永遠の存在だから。


さて、残していた例、
左の肩が痛いはどう考えたら好いのでしょうか?

人柄や人格という在り方と同じようにその続く、つまり
「痛い、痛む」は考 えることが出来ます。

痛みの続くことは、ネガティブな存在の痛みと一つになっているのです。

5
ここで、大切なことは痛みの存在を病気の続くこと、つまり病気の  dispositio  ではなく病気の  habitus  として考える視点に立つことです。

湿布薬を張り続けたら、直った、一度整形外科に行って診察を受けたら、痛みがなくなった、こうした以上の困った事態を問題にすべきです。

新しく、どうしてという痛みの原因が関心事になって来るからです。

そしてほぼ同時に、左の肩の痛みという魂の受動・感情に不安が                                
付き纏うようになります。

癌のせいで、肩が痛いのかも?

これまで、生きて行くことが無難だったひとに、自己をどうやって
持続させたら良いか?という難問が浮かんで来ます。

もしも、癌だったら死が迫っているはずだ。どうしたらいいのだ。

👋

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