2021-03-05

嫌いな言葉 続き🦆

7   ところが、ひとの理性を凝視して、理性とはどの様なものかを

考え始めますと、ひとの理性は万能ではないことに気付きます。

 

ここで大切なことは、魂の理性的な働きを

いわゆる理性ratio

(考える、計算する、推理する、洞察するーーーー)

と意志 voluntasとに別けて、思考出来るかどうかだと考えます。

つまり、善に関わることが出来る意志を、話の中心に置いて、

意志が行為のレベルでの善である、このことの実現の意味を

観てみましょう。

 

8 トマス・アクィナスの行為論 註)での考察の柱は、三つ有ります。

 

行為の到着点、行為の目的

行為そのもの

行為に付帯する善

 

行為の目的を考え、何をしたら良いかを考える。

そして、何をしたら良いかと切りはせない付帯的な善を重視する。

 

例えば、自分が選んだ大学の入試が今日ある。

ここでの目的は、志望学科へ合格することです。

その為に、答案を作成する。

そして、所定の時間内に書き終える、また、きれいな字を書く、⋯⋯⋯⋯

 

9 現代社会の特徴は、ある仕事をする際に、時間という要素を抜きにしては、

語れない点に有ります。ある会社が、仕事の受注をする際、

何月何日 何時までに完成する、また納品することが義務付けられます。

そうした契約が取り交わされます。

 

このことが出来ない場合には、あるペナルティーが課せられ、お金の問題へと

発展する事が起こります。

 

社会で働いているひとは、時間と闘って生きているのです。

 

10 何かを為す行為は、上で言及しています三つの柱が全部、

善である必要があります。これは、容易なことではないでしょう。

 

更に、ハビトゥスという持続の視点で、行為の意味を考えてみます。

 

行為のリアリティは、理性のちからである思慮・賢慮そして技術力が

主導し、経験という言葉が支配する世界です。

 

ところが、それでは意志に、善を志向するハビトゥス

 

 

追伸■■■ 

35  斉藤由貴さんのラジオNHK9時台のトーク番組の

なかで、びっくりした情報を耳にした( 実は、ラジオを聴きながら、今日の投稿

記事を創っているいたのです)

 

放送中の中で、東北地方在住の友人の作家は由貴さんに、電話で語りかけました。

 

  今回のM 6台の地震で家屋の被害は、約10年前の東北大震災より

大きかった、家屋の被害だけに限定した話だけど。』

 

斉藤由貴さん、トーク番組の司会者も知らない

話で、二人がギョッとした雰囲気になりました。

 

今朝4時過ぎにニュージーランドの方の海でM8を超える大地震があって、

日本に津波が押し寄せないか、気にした時の情報でした。

 

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