7 ところが、ひとの理性を凝視して、理性とはどの様なものかを
考え始めますと、ひとの理性は万能ではないことに気付きます。
ここで大切なことは、魂の理性的な働きを
いわゆる理性ratio
(考える、計算する、推理する、洞察するーーーー)
と意志 voluntasとに別けて、思考出来るかどうかだと考えます。
つまり、善に関わることが出来る意志を、話の中心に置いて、
意志が行為のレベルでの善である、このことの実現の意味を
観てみましょう。
8 トマス・アクィナスの行為論 註)での考察の柱は、三つ有ります。
行為の到着点、行為の目的
行為そのもの
行為に付帯する善
行為の目的を考え、何をしたら良いかを考える。
そして、何をしたら良いかと切りはせない付帯的な善を重視する。
例えば、自分が選んだ大学の入試が今日ある。
ここでの目的は、志望学科へ合格することです。
その為に、答案を作成する。
そして、所定の時間内に書き終える、また、きれいな字を書く、⋯⋯⋯⋯
9 現代社会の特徴は、ある仕事をする際に、時間という要素を抜きにしては、
語れない点に有ります。ある会社が、仕事の受注をする際、
何月何日 何時までに完成する、また納品することが義務付けられます。
そうした契約が取り交わされます。
このことが出来ない場合には、あるペナルティーが課せられ、お金の問題へと
発展する事が起こります。
社会で働いているひとは、時間と闘って生きているのです。
10 何かを為す行為は、上で言及しています三つの柱が全部、
善である必要があります。これは、容易なことではないでしょう。
更に、ハビトゥスという持続の視点で、行為の意味を考えてみます。
行為のリアリティは、理性のちからである思慮・賢慮そして技術力が
主導し、経験という言葉が支配する世界です。
ところが、それでは意志に、善を志向するハビトゥス
追伸■■■
3月5日 斉藤由貴さんのラジオNHK朝9時台のトーク番組の
なかで、びっくりした情報を耳にした( 実は、ラジオを聴きながら、今日の投稿
記事を創っているいたのです)。
放送中の中で、東北地方在住の友人の作家は由貴さんに、電話で語りかけました。
『 今回のM 6台の地震で家屋の被害は、約10年前の東北大震災より
大きかった、家屋の被害だけに限定した話だけど。』
斉藤由貴さん、トーク番組の司会者も知らない
話で、二人がギョッとした雰囲気になりました。
今朝4時過ぎにニュージーランドの方の海でM8を超える大地震があって、
日本に津波が押し寄せないか、気にした時の情報でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿