🐢 魂、心を大切にするとは 前にあるものの大切さ
1 今日の話は、古代ギリシャの哲学、特にソークラテスから
出て来たと考えられる、魂を大切にする(=魂の世話)と
いう考え方は、もしも、魂イクォール心 と見做すなら、
インド仏教の思想のなかにも見出される、
と言うことです。
ただ、それは端緒で、以下の話しの狙いは
別の所に有ります。
2 最初に、古代インド仏教言語に詳しい 中村 元編集の
「新 仏教語源散策」註1)からの引用を行ないます。
心という言葉が一心という言葉からくる、では、仏教では
一心とは何か。
引用です⊷⊶⊷⊶⊷⊶~⊷⊶⊷⊶註2)
いったい、仏教では原始仏教以来、心を非常に重視する。
原始仏教の聖典であるダンマ•パダ(「法句経」)は 次の言葉で始まっている。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって
つくり出される。
もしも、汚れた心で話したり、行なったりするならば、
苦しみはその人につき従う。――――一部省略――――
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって
つくり出される。
もしも、清らかな心で話したり、行ったりするならば、
福楽はその人につき従う。―――――一部省略――
3原始仏教では、心という言葉が使われても、
魂という言葉は使われない、と理解しています。
魂の語源に当たるギリシャ語のプシュケーは、風です。
遠くで木々が揺れている。その揺れ方を見て、
あ、風が吹いている、と理解します。
ひとと逢う時、あ、風が吹いている、あるいは
風が吹いていないという視点で、
そのひとの元気さを測ります。
そして、人生という時間のうねりの中で、
魂そのものを美徳的なものに仕上げる(反対に、
悪徳的な魂に堕とする)、ここに、ひとの人格の
存在(=人間で あ る )が見出されるのです。
このことをある仕方で導く言葉が、トマスの場合、
ハビトゥスという持続の概念です
4 2 で引用した聖典 ダンマ•パダの詩の美しい言葉
(少しも観念的でない、素朴さそのもの)に関して、
作者 末木文美士は次の要約をしています。
ここで、(一)心とは、われわれの普通の心と考えて良い。
ただ、以降の仏教哲学では、心の穢れた迷いの要素を
重視し、いかにそれに対処していくのかという面に
重点を置く傾向と、
心の中にある浄らかな悟りの要素を重視し、それを
引き出していこうとする方向に分かれるのであった。
5 今日は、二つの仕方で、こころを大切にして生きる意味を考えてみました。
こころを大切にする、の向こう側に、西洋ヨーロッパでは、
徳の確立や人格の成立というポジティブな方向性を感じます。
反対にこれから勉強予定の仏教哲学では、人間のこころの悪から
どうやって離れるのかが、まず大きな課題なのだ、と感じました。
6 これまでの主題は、思想と哲学は区別されるべきだ、でした。
哲学は網を造れる、その網とは、
言葉を大切にすること、そしてこの目的のため、
こころを大切にしなければならない、が
今日までの考察です。
まだ、更に造るべき網が有る?
実際に、何か網を考える事が出来たら、また書きます。
註1)中村元編著 新 仏教語源散策 東書選書100 1994年
註2)同書 196頁―200頁 参照
🙂🙃
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