2019-05-05

時間           六回目

😶時間と記憶

7+ 日常は、未来へのある何らかの志向と過去への
方向性のなかにある現在のことですが、今日は
ひとの経験としての記憶の意味に光を当てます。

いま、過去と現在まで持続する時間の二つを
記憶との関係で観るとして、まず、過去と記憶の
結び付きを取り上げます。

8 記憶の視座で考える、単純に過ぎ去っている過去とは、
ひと、或いはひとびと(そして自己の周りの世界)の
為した行為、またその結果として考えることが出来ます。

小さい時、それまで住んでいた処を離れ、新しい場所に
引っ越した(通う学校も変わった)。
就職試験に合格した。
病気で入院した。
可愛がっていたペットが死んだ(その後ペットは飼っていない)。

9 過ぎてしまい、今はもうない過去は、基本的に、一過性の
出来事です。
ところが、記憶の視座で把握しますと、その出来事に呼応
している記憶とは、一種類の記憶だけではないように思われます。

ある種の記憶は現在まで持続していて、想起すれば、直ぐに思い出す
ことが出来る。ある過去に関しての安定した記憶がある。

ここで、安定した、とは自己にとってまた、周りのひとびと
(更に周りの世界のひと)にとって安定している、しかも、
良かった出来事だけでなく、悪しき意味の出来事を含めて安定しているです。

ところが、これに対してまた別の種類の記憶があります。

決して、安定しているとは言えない記憶があります。

10 その一つは、行為の持つ意味合い、一過性という性格が前面に出る際の
記憶の在り方です。

つまり、その記憶は全く、忘却されてしまっている記憶があります。

また更に、忘却されてはいないが、何らかの(想定していなかった)
きっかけが原因になり想起が起こる記憶があります。

例えば、偶然、街のなかで声をかけられ、何十年も前の知人であることに
気付く。これは、実に不思議な経験ではないか、と思います。

また、上の考察とは別の仕方で考えられる、安定しているとは言えない
記憶もあるのでしょう。
例えば、その記憶を嫌悪していて、抹殺する事が出来たそうした何か
(ただ、また何かのきっかけがあれば、顔を出すかも知れない)。

🗻続けます

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