2019-05-26

制度的なものについての記憶   時間   九回目

15 過去と記憶の話を終りにして、今度は、現在まで持続する時間と記憶の
話に移ります。

ここで、主題化して来る概念が、制度そして制度的なものです。前に言及した際に、
具体的には、

そのひとが属している国の様々な制度的なもの、言語、憲法等々の諸々の法律、
そして家族、また公的な企業や民間の企業ーーー

まだまだ、たくさんあるのでしょう。

と、書いていました(時間 五回目 番号6を参照)。

ここで、制度的なものと表している概念は、制度より広い言葉です。
国そのもの、社会的な規範、不文律(明文化されてはいないが守るべき事柄)
を、更に含める必要があります。

16 差し当たって、ひとにおける過去の経験そしてその記憶が、
その当事者の私的な世界に属するのに対して、制度そして
制度的なものの記憶とは、公の事柄、社会的な事柄の世界に属する、という
あるコントラストの構図のなかで理解することが出来ます。


次の本からの引用は、この構図のなかで、一人で何かを為すのは良いが
多くのひとのなかにはいると、上手く行かないという人間の話です註)。
  
  🏗️🏗️🏗️🏗️🏗️
   福田少尉は、どうやら軍隊が苦手であったらしい。
   大阪外語時代、軍事教練で配属将校が『右向け、右』の号令を
  かけるのだが、福田生徒は列のなかでひとり『左』を向いてしまう。

   それも一度や二度のことでなく、教練がおわって配属将校に
  こっぴどく叱られると、ションボリと仲間にこんな言いわけを
  したそうだ。
   『何人か一緒にいると、もううまくいかんのや。一人対一人
  ならええんやけど』
  🏜️🏜️🏜️🏜️🏜️🏜️

17 ところが、制度的なものとして現在までの持続する時間の意味を
考えますと、過去そのものの安定性の高い記憶と現在まで持続する社会
制度に関わる時間を、単に、 「 私 ー 非私 」 という対立する枠組みで
もって理解することは間違いであると、考えます。

註)司馬遼太郎に日本人を学ぶ  森史朗 文春新書 2016年
🗻続きます

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