2019-05-12

過去のあること       時間 七回目 

10+ このエッセイのスタートでお約束しました考察のスタイル、

一、主題となる言葉を二つに分ける
二、新しく絞り込まれた言葉についてのひとの経験、体験を考える
三、更に、その言葉のあることを考える

を、踏襲した仕方で、話を続けます。

いま、主題化している過去は、二つに分けるとすれば、
過ぎ去ってしまった時間としての過去そのものと現在まで持続してある
時間(続くことを強調すれば、現在までの時)に分けることができます。

11 後者の制度的なもの、したがって社会的なものの多くが、学習や意志的な
学びを通してひとの記憶に蓄えられるのに対して、過ぎ去ってしまった時間としての
過去そのものは、ひとの知性や理性の経験として直接的に与えられます。

こうした経験の中でも、「みる」はひとに取って大きな役割を持っています。

みる、は見る、見守る、見舞う、見据える、診る、見張る、見通す、観る‥…と、
様々な文脈でもちいられます。
英語で speculation とは未来に関わる みる の意味で、ここから株の投資の
意味が出て来ます。

みるはまず、感覚的な世界そして知覚的な世界に向けられていて、人間の
成長に決定的な役割りを果たしていると考えます。
幼児の躾を考えた場合、失明している、また耳が聞こえないとは、大変な
事だと想像します。


みるは、更に、その知性的な働きを通して洞察や観察、気配り、注意、本質的な
ものの把握まで拡がりを持つ言葉です。

12 恐らく、多くの みる の中でも、夢や幻をみる は、不思議な記憶に属する
のではないかと考えます(夢は未来に関わるだけでなく過ぎ去った事にも関わる)。

桶狭間の戦い出陣前に、織田信長が歌った歌また、豊臣秀吉の辞世の句は、
わたしたちが考えがちな過去に属するリアリティに対して距離を、しかも
大きな距離を置いてしまっているからです。 

信長の歌
人間(じんかん)50年 下天の内をうちくらぶれば 夢幻のごとくなり

豊臣秀吉の歌
露と落ち 露と消えにし 我が身かな  浪速のことは 夢のまた夢
   註:浪速とは大阪城。

2 件のコメント:

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  2. 近世哲学の大家であるカントは、次の
    言葉が最後の言葉でした。
    Es ist gut. 私の人生は良かった。

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