2021-12-11

🎁 素朴な イデア論

 

 

  松永先生の思い出を続けてみたい

 

彼の哲学はイデア論の理解にあったのではないか

 

 

Idea と言えば、それへのある想いがあるのか、

中には詰らないことを語るヒトが居る。

 

反対に後継者の一人であると思われる若い教授の著作で、

イデア論の記述を見たことがある。評価されるものだ。。

 

以下、私の記憶、学部での松永先生の講義から

のイデア論である。

 

2ここで紹介するイデア論の話は、普通は哲学の話を

真面に受け止める事のない僕の家内が

反対しなかった程、やさしい。

 

今、A  B  というひとがいるとしよう。

A Bよりも 背が高い。A is taller than B.

 

そこに C が現れる。

その C が Aより背が高いとする。

 

すると、C is taller than A

 

 

C is taller than A

                      A is taller than B

 

どうだろう?

Aそのものに気を付けてよく観ると、

A そのものが 大である とは言えないだろう。

 

ABに比べてみれば、確かに より大きい。

だがしかし、 Cに比べてみれば より大きい とは言えない。

 

  大きい 》 という言表はどこから来るのか?

Aそのものに大 が属しているのではない、

 

そして、考えられることは、この場合 存在そのものが

Aそのものから  〈離れていて〉

かつ、

Aそのものが存在そのものに

〈与かって〉 いる。

 

 

この存在そのものが 大の イデア と呼ばれるのだ。

 

・・・・・もう一回考えてみよう。

 

わたしたちが  あるものを 大きいと呼ぶ意味を。

どこから 大きい が来ているか?

 

どこからも大きいは来てない、なのに何―故、

大という言葉が使える?

 

0 件のコメント:

コメントを投稿