11) りシャール神父は、カナダ、ケベック出身でアメリカに
留学、ハーバードでライシャワー元駐米大使から
日本語を学んだらしい
ヒロシマの漢字を、アメリカでは 旧活字の 廣島 で覚えて
いたため、戦後困ったよ、と笑っていたのを思い出す
福岡にあるドミニコ会の神父として赴任して来たのは、
箱崎カトリック教会から
撤去する目的であった
東京大学経済学部の大河内教授の元、ドクターを取っている。
言わば、教会を無くそうと来たのだった、だが、
不思議なことに
教会の再建を果たしたのだった。
急に信者の数が増えて、教会の建物は
賑やかな声で一杯になったのだ
洗礼を受けた数が一番多かった年は
23名であった
このうちの一人に 、ぼくと森山神父がいる。
森山神父は、知らない内に、カトリック協議会のメンバーになられた。
今年の六月、インターネットで東京のカテドラルでの
御ミサを司式しておられた
ぼくは日曜日、司式なさるリシャール神父の従者を
しながら、100名足らずの教会で、新しい生活を作っていった
続きます
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