1 松永先生の思い出を続けてみたい
彼の哲学はイデア論の理解にあったのではないか
Idea と言えば、それへのある想いがあるのか、
中には詰らないことを語るヒトが居る。
反対に後継者の一人であると思われる若い教授の著作で、
イデア論の記述を見たことがある。評価されるものだ。。
以下、私の記憶、学部での松永先生の講義から
のイデア論である。
2ここで紹介するイデア論の話は、普通は哲学の話を
真面に受け止める事のない僕の家内が
反対しなかった程、やさしい。
今、A B というひとがいるとしよう。
Aは Bよりも 背が高い。A is taller than B.
そこに C が現れる。
その C が Aより背が高いとする。
すると、C is taller than A。
3 C is taller than A
A is taller than B
どうだろう?
Aそのものに気を付けてよく観ると、
A そのものが 大である とは言えないだろう。
AはBに比べてみれば、確かに より大きい。
だがしかし、 Cに比べてみれば より大きい とは言えない。
《 大きい 》 という言表はどこから来るのか?
Aそのものに大 が属しているのではない、
そして、考えられることは、この場合 存在そのものが
Aそのものから 〈離れていて〉
かつ、
Aそのものが存在そのものに
〈与かって〉 いる。
この存在そのものが 大の イデア と呼ばれるのだ。
・・・・・もう一回考えてみよう。
わたしたちが あるものを 大きいと呼ぶ意味を。
どこから 大きい が来ているか?
どこからも大きいは来てない、なのに何―故、
大という言葉が使える?
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