2021-04-09

存在と言葉

存在と言葉  (1)

 

前置き:  笑いを手掛かりに、存在と言葉の結び付きを

考えることが今日の考察の狙いです。

 

  実は、この世の中で私たちは様々な笑いを体験しています。

つまり、笑いは一種類だけではない、多くの種類の笑いがある。

 

例えば、人において生起する行為の視点で考えますと、

すると微笑、可笑しいから笑う、wit 、冗談、高笑い、嘲笑――――

の多くの笑いを見出します。

 

笑っているひとを観察しますと、受け身的な感じで口許が緩み、

眼が優しい光を帯びて来る。また更に、場を和らげる冗談に

周りの人たちが乗って明るくなる。

攻撃的な笑いも有ります、本人が笑いの対象となるヒトに

攻撃的になり、そのヒトを嗤い飛ばす。

 

2 笑いに、笑われているヒトの視点から接近しますと、

笑われてもドーテ事はない、つまり、単に一過性のことと

してすぐ、忘れて仕舞う笑いから、後にダメージとして

記憶に残る笑いが見出せます。

屈辱の体験です。

 

3 いま、笑いという表現を横に措いて、

「笑いの存在」という今日の主題となる話に入ります。

 

笑いの存在とは、主語としての諸々の笑いの

述語付け的な側面に焦点を絞った表現です。

 

例えば、微笑は笑いである

              高笑いは笑いである

             嘲笑は笑いである、と言われる時に、三つの

文章に共通している述語付けが、笑いである です。

 

そして、確かに言語表現的には  述語の笑いである  は一つです。

ところが、述語付けを行なう魂の動向・魂のリアリティから判断しますと、

笑いである は一つ以上の仕方である(ここでは三つ)   と考えられます。

 

ここから、笑いの存在とは多くの仕方であるという考え方が出て来ます。

続きます。

🐸🐸🐸

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