存在と言葉 (1)
前置き: 笑いを手掛かりに、存在と言葉の結び付きを
考えることが今日の考察の狙いです。
1 実は、この世の中で私たちは様々な笑いを体験しています。
つまり、笑いは一種類だけではない、多くの種類の笑いがある。
例えば、人において生起する行為の視点で考えますと、
すると微笑、可笑しいから笑う、wit 、冗談、高笑い、嘲笑――――
の多くの笑いを見出します。
笑っているひとを観察しますと、受け身的な感じで口許が緩み、
眼が優しい光を帯びて来る。また更に、場を和らげる冗談に
周りの人たちが乗って明るくなる。
攻撃的な笑いも有ります、本人が笑いの対象となるヒトに
攻撃的になり、そのヒトを嗤い飛ばす。
2 笑いに、笑われているヒトの視点から接近しますと、
笑われてもドーテ事はない、つまり、単に一過性のことと
してすぐ、忘れて仕舞う笑いから、後にダメージとして
記憶に残る笑いが見出せます。
屈辱の体験です。
3 いま、笑いという表現を横に措いて、
「笑いの存在」という今日の主題となる話に入ります。
笑いの存在とは、主語としての諸々の笑いの
述語付け的な側面に焦点を絞った表現です。
例えば、微笑は笑いである
高笑いは笑いである
嘲笑は笑いである、と言われる時に、三つの
文章に共通している述語付けが、笑いである です。
そして、確かに言語表現的には 述語の笑いである は一つです。
ところが、述語付けを行なう魂の動向・魂のリアリティから判断しますと、
笑いである は一つ以上の仕方である(ここでは三つ) と考えられます。
ここから、笑いの存在とは多くの仕方であるという考え方が出て来ます。
続きます。
🐸🐸🐸
0 件のコメント:
コメントを投稿