🐞 理性と時間 時間と魂の存在 四回目
1 魂の働きを考えます。
眼や耳そして触覚が頭に浮かびます。
触覚ということで、僕は痒みを先ず考えます。
水虫の痒み、左耳の中での、週に一二度感じる痒み、左上腕部の
少しだけ隆起し膨れた傷跡血管の痒みが、痒み で
浮かぶ具体的な内容です。
長い人生の中で見つけた智恵か、上の痒みはすべて、市販の酢を購入して、
それを綿棒に含ませて、痒いところに塗る処方をしています。
触覚と言えば、味を感じることが特に大切なのでしょうか。お酒を飲む人が
飲む透き通った焼酎の味が消えた、辛口の日本酒の味が無くなった 、或いは
ビィールの味が水を飲むようだとしたら、人生の楽しみが無くなった!と
感じるのでしょうね。
2 見ること、聴くことそし触覚を通して何かを感じることは、
魂の大切な働きだと考えます。
時間と共にある世界に関わる身体の感覚的な機能ですが、se habere という
habitus の視座で再把握しますと、こう考えられます。
例えば、視力や聴力に関わる能力を喪失していて、
そこで生きることができる自己を持ち続けていないのであれば、
小さい時から正常な視力や聴力を持つ子供とは 区別された学校教育を
受けなければならないことになります。
クラスターという言葉が、今日、新型コロナウイルス肺炎感染症患者に
使われます。ウィルスの為に死に臨んでいる、その可能性を持つウィルスに
かかった集団のことですが、
ここ、感覚の障害者についても、死とは向い合っていない、だけど
何らかの意味でのクラスターに属すると言えます。
それは、人生という道を考える際に、ある制限された世界に
身を置くことを意味するからです。
これまで、自己を持ち続ける、自己を持ち続けられないことの意味を
感覚能力に限った形で話しています。
3次に自己を持ち続ける、自己を持ち続けられないことの
意味を理性能力に着目して思索をしてみましょう。
ただここで、予備的な考察として
イメージ imageという言葉に注目して、
理性と感覚の境界を定める話をしたいと考えます。
イメージという言葉は、現在、理性へと拡がり、感覚における
イメージだけではなく使われているからです。
イメージという言葉の肥大化した世界で生きている私達が
向かい合うべき問題だと思います。
🙂
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