2+ 時間を二つに分けると、秒刻みの時間と秒刻みでは
何か苦となるものを失って、反対の快いものを得る際に生じる
ない時間の二つに分けることが出来ます。
前者はあると言うより、流れると言った方が正確です。
そして、後者の秒刻みではない時間とは、ひとまず、
広い仕方で把握が可能な『時』のことです。
ところが、この秒刻みではない時間とは、また二つに分け
ることが出来ます。
日常の時間とある持続する時間を考えたらどうでしょうか
(これから先の箇所、ナンバー5 以下で語っていきます)。
。
3 上の分析は、秒中心の科学的な視点に立ちますが、
これとは別の視点を出します。それは、ひとの体験の視点です。
ひとの多くの体験のなかには、特に秒刻みの時間の流れに呼応、
対応しているものが見出されます。
それが魂の受動、感情です。
具体的には、そうした感情の例が次です。
何か苦となるものを失って、反対の快いものを得る際に生じる
快(感覚的な快)が秒刻みの時間の流れに対応しています。
また、正反対に、何か快いものを失って、反対の苦・苦痛
となるものを得る際に生じる苦(感覚的な苦)が
秒刻みの時間の流れに対応しています。
となるものを得る際に生じる苦(感覚的な苦)が
秒刻みの時間の流れに対応しています。
喉が乾く、すると、飲み物を欲しくなる。そして、その飲み物を
ある仕方で飲めば喉の乾きは消えてしまう。
喉における苦の状態が快に変わる、と考えるわけです。
(反対に、喉の快い状態、自然な状態は何らかの状況のもと、
喉の乾きに見舞われて、喉の苦・苦痛に変わります。)
(反対に、喉の快い状態、自然な状態は何らかの状況のもと、
喉の乾きに見舞われて、喉の苦・苦痛に変わります。)
世界を観ることが、自己を観ることに繫がるそうした『世界』とは何か。
返信削除多くのひとは、それを空間的なもの、地理的なものに求めようとします。
世界とは、目に見えるものだ。