北山修作詞 加藤和彦作曲の歌 1971年 、
「あの素晴しい愛をもう一度亅は、好きな歌の一つです。過去を振り返る詩が、
真実として、胸を打ちます。
真実として、胸を打ちます。
ただ、一番の出出しの歌詞は、良くないと考えます。
ーーー 命かけて誓った、は音が暗いです。
命というような観念的な言葉を冒頭に持って来るのは、どうかと思います。
二番の歌は、ーーー赤トンボの歌を唄った空は、アの音が多く、また視覚的で
ひとの想像を刺激します。歌を聴くひとが子供時代に立ち返るのです。
ひとの想像を刺激します。歌を聴くひとが子供時代に立ち返るのです。
で、 二番の歌を一番に持って来て、そこからスタートして、そのまま三番へ行って、
最後に一番に戻るのが歌いやすいのではないでしょうか?
念の為、新しく歌詞を書いてみました。
1「赤トンボの歌を唄った空は、何にも変わっていないけど、あの時、ずっと夕焼けを追いかけていった心と心がもう通わない」
😍あの素晴しい愛をもう一度、〜〜〜リフレイン
2「広い荒野にぽつんといるよで、涙が知らずに溢れてくるのさ。あの時、風が流れても変わらないと言った二人の心と心が今は通わない」
😍あの素晴しい愛をもう一度、〜〜〜リフレイン
3「命かけてと誓った日から、素敵な思い出残してきたのに、同じ花を見て美しい、と言った二人の心と心が今は通わない」
😍あの素晴らしい愛をもう一度、〜〜〜リフレイン
最後の、『同じ花を見て美しいと言った』は、特に胸に迫り、好きな詞です。
わたしたちには、昔、あった?
心が和む時が?
わたしたちには、昔、あった?
心が和む時が?
この詩は、昭和の時代の作品なので、平成の終わりに というタイトルとは直接関係ないのですが、愛し合うと言う世界に、心の和む経験を考えている(そして今は愛し合っていない!)というのが良いです。
返信削除