2019-04-26

風が和ぐ と こころが和ぐ

1 万葉集巻五、梅の花32首の歌の序言に、
大伴旅人の作品を見つけます。
全体が漢詩になっていて、その最初の
出出しの詩は、部分的に

初春令月 気淑風和 です。

すると、これを読み下し文にすると、

初春の令月にして 気 淑(よ)く風 和(な)ぐ 
です。

2 で、現代語訳は、どうなるのでしょう?

時あたかも 新春の好い月、
空気は美しく 風はやわらか 
になります(読売新聞四月二日朝刊)。

3 しかしながら、新しく始まる年号の
『令和』という呼称は、まだ、ピーンと
来ません、つまりよく解りません。

幸先の好い月の 風の和(なご)み、
それだけでは、何を言いたいのか、
まだ曖昧ではないだろうか、と考
えるのです。

4 そこで、いま、提案したいと思うことは、
次のことです。

風が和むということをそれだけで理解
しないで、併せて、ヒトのこころが
和むことを考えたらどうでしょうか。

そうすれば、風という自然界の、風の吹き
方は、わたしたち人間のこころの在り方、
つまり、こころの風の吹き方の
あるべきモデルを示すことになるのでは
ないでしょうか?

風が和むは、こころの和みとしてのこころ
の平和を示唆するのであり、ヒトのベスト
な在り方を教えてくれるのです。

戦後何十年も経ちますが、一人一人の平和を
考えないで、単なる国の平和だけを
考える悪い習慣からは、もう逃げ出すべき
時が来ています。

ヒトの、自己の平和の実現の摸索こそが、国の平和の
礎なのです。


5 しかしながら、自己の責任において具体的に
考えるとして、ヒトのこころが 和む、とは
何でしょうね。

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