1 いよいよ、諸 ハビトゥスの本質についての
探究が始まります。 つまり諸々のハビトゥス とは
何であるのか? そして、諸々のハビトゥスは如何なる
意味で ある のか?
この探究を、稲垣良典先生のハビトゥスの
日本語訳である 習慣 を否定的に観る
観方を中心軸にしながら進めます。
そして、それとは正反対に、稲垣の習慣 を
肯定的に観る観方を提示したい、と考えます
2 第一項 、第二項(第49 問題)の 設問は
ハビトゥスは 質 であるのか そして、
どんな意味での質であるのか です
この箇所に入って、ある具体的な文脈で
ハビトゥスが使われます。
稲垣先生の習慣という日本語が誤訳ではないか、と
叩かれたのはここです
3 アリストテレースの カテゴリアイ という書物は、
目に見えるあるもののあり方を示していく本ですが、
その中で 質 (どの様にあるか)の 4つのうち、
第一の質を語る場面があります
Hexis ヘクシス(安定性の高い意味での 性向)が
ハビトゥス habitus の元の言葉だから、ここ
トマスの考察場面でも 性向 と訳すべきだ
稲垣の 習慣は性向 という意味を逸脱している
4 稲垣先生は、第一項の ハビトゥスの 言語的な
分析を大切になさったようです。
Habitus は 《持つ》から来ている。
一つは、対象として何々を持つ、持っている。
他の一つは、自己を持つ、持っている
ハビトゥスが語られるのは、この後者の方である、
つまり、自己を持っているse habere という言葉の
使われ方が ハビトゥスを考える時、一番大切である
5したがって、ハビトゥスが 質であることを
ハビトゥスの存在の視点から考察する第二項は、
あくまでも第一項の
言葉の分析の枠組みで考えなければならない、
自己を持ち続けるが、性向hexis の
大きな意味である
簡単に言えば、トマスは自分の視点で
アリストテレース カテゴリアイ を
読み、そこにある距離を置いている
続けます
●訂正
前回の 3 では、出 隆を井出隆と 間違えて
書きました。失礼いたしまし
0 件のコメント:
コメントを投稿