1 アリストテレース カテゴリーを
扱っている 本を、みえる
あるものの あり方を示すものだと
言いました
これに対して、アリストテレースの世界から離れて、トマス自身は
ハビトゥスを考えていることが
大切なことだと考えます
単に、みえるあるもののあり方
だけではなく、善悪の世界まで話を
拡大している、
しかも、トマスの考察の中心は
善悪の世界である
2 トマスの49問題が始まる前に
あった神学大全の考察の流れは
次のものでした
至福とは何か
その至福に至る経験とは何か
だが、(魂の)行為 actus ではない、
また
魂の受動である 感情・情念
でもない
トマスは、至福という神を観る
経験の可能性を、更に深く
考えようとして、ここの
49問題に入っているのです
3 その諸々のハビトゥスが何で
あるかの考察の冒頭で、
ハビトゥスが質である、第一の質
であると言っているのです。
第一の質とは、まず、自己を持ち
続けていることを重視することに
よって
習慣の語感に確かに近いことが
言えます
したがって、性向という翻訳は
二重の意味で誤りです。
一つはトマスの考察の流れが読めていない。他の一つは、自己を持ち続ける意味の中で、性向は自然的な概念で
あり、そこから、性向は自己という
言葉が厳密に使えない限られた
ものだ
また、習性も自己の経験の意味が
希薄で使うことが出来ません
4 それでは、習慣はベストな訳か。
わたしが持続という言葉を使うのは
、二つ理由があります
一つは、安定を重視するアリスト
テレースの hexis の語感を大切に
している
他の一つは、習慣の意味が持つ
欠陥である《単なる繰り返し》
の意味を排除出来る。
持続は自己が続けるであり、この
観点では持続は、単なる続きと
異なります
補足になりますが、意識の持続を
語った現代の哲学者とは
無関係です
続けます
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