2020-11-03

RE: 時間と魂の存在

 

 

 

 

時間と魂の存在     二回目の続き

 

  前回、ある病気は安定度が高く、健康へと変化しにくい、したがって その病気は

ハビトゥスである、と言いました。

今日は、上の主張へ補足を加えて先に、つまり 健康はどうなのか?を示します。

 

たくさんの病気のなかで、治りにくい、治らない病気が見出されますが、

すべての病気が治りにくい、治らないうわけではありません。

例えば、風邪をひいて熱が引かないので、内科の医者に診てもらう。注射を打ち、適切な風邪薬をもらって家に帰る。で、熱が下がり、喉の痛みが消える。

 

こうした形の治る病気はたくさん有ります。

こうした安定性、安定度の弱い症状の病気を、トマス・アクィナスは状態  dispositio

呼んでいます。

 

それでは、健康はどうか?

 

病気と同じように、安定度が弱い、と考えることが相応しいのか?

したがって、健康は状態である、安定度の高い ハビトゥスではない。多くの人にとって

健康は持続的なものではない、特に高齢者に取って、健康は有り難きことに、幸せに属すると考えられます。

 

  以下、トマスが 健康を単なる状態とは考えていないことの意味を考えてみます。

 

健康が病気と同列に扱えないのは、健康は身体の自然本性  natura  との結びつきを

持っています。

 

トマスはアリストテレスの  ヘクシス(性向と訳される)の意味を更に深めて、

ハビトゥス は自然本性との結び付き(或いは自然本性からの離反)を持つと考えていて、ここ、

身体のハビトゥスについてもこの規定を宛がうわけです。

 

ただ、大切なことに、 健康は身体の natura =nature )との結びつき・秩序 ordo

おいてある、とは このnatura  が健康の原因として把握される、ということです。

 

身体の本性に健康は与かっている、ここが状態として理解される病気とは区別される。

 

  トマス・アクィナスが、健康を単なる状態ではなく、

ずっと持続的な状態( dispositio  habitualis )と呼んでいるのはこの為です。

 

ただ、この言葉は、難しい感じですね。

日本語の他の訳は、習慣的な状態、性向的な状態です。

笑い話になってしまいますが、 habitus dispotionalis (状態的な持続?)という

用法はないです。

 

  色を考えます。

 

赤い色があり、茶色があります。

そして、赤い色と茶色の真ん中に、ワインカラーの色がある理解はどうでしょうか。

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