時間と魂の存在 二回目の続き
1 前回、ある病気は安定度が高く、健康へと変化しにくい、したがって その病気は
ハビトゥスである、と言いました。
今日は、上の主張へ補足を加えて先に、つまり 健康はどうなのか?を示します。
たくさんの病気のなかで、治りにくい、治らない病気が見出されますが、
すべての病気が治りにくい、治らないうわけではありません。
例えば、風邪をひいて熱が引かないので、内科の医者に診てもらう。注射を打ち、適切な風邪薬をもらって家に帰る。で、熱が下がり、喉の痛みが消える。
こうした形の治る病気はたくさん有ります。
こうした安定性、安定度の弱い症状の病気を、トマス・アクィナスは状態 dispositio と
呼んでいます。
2 それでは、健康はどうか?
病気と同じように、安定度が弱い、と考えることが相応しいのか?
したがって、健康は状態である、安定度の高い ハビトゥスではない。多くの人にとって
健康は持続的なものではない、特に高齢者に取って、健康は有り難きことに、幸せに属すると考えられます。
3 以下、トマスが 健康を単なる状態とは考えていないことの意味を考えてみます。
健康が病気と同列に扱えないのは、健康は身体の自然本性 natura との結びつきを
持っています。
トマスはアリストテレスの ヘクシス(性向と訳される)の意味を更に深めて、
ハビトゥス は自然本性との結び付き(或いは自然本性からの離反)を持つと考えていて、ここ、
身体のハビトゥスについてもこの規定を宛がうわけです。
ただ、大切なことに、 健康は身体の natura (=nature )との結びつき・秩序 ordo に
おいてある、とは このnatura が健康の原因として把握される、ということです。
身体の本性に健康は与かっている、ここが状態として理解される病気とは区別される。
4 トマス・アクィナスが、健康を単なる状態ではなく、
ずっと持続的な状態( dispositio habitualis )と呼んでいるのはこの為です。
ただ、この言葉は、難しい感じですね。
日本語の他の訳は、習慣的な状態、性向的な状態です。
笑い話になってしまいますが、 habitus dispotionalis (状態的な持続?)という
用法はないです。
5 色を考えます。
赤い色があり、茶色があります。
そして、赤い色と茶色の真ん中に、ワインカラーの色がある理解はどうでしょうか。
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