1 次の引用は、日本の明治維新に起った徳川家家臣団のある窮状を描いた小説です註)。
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将軍であった徳川慶喜は、東海地方の一大名になり、直参である旗本衆の身分も、
得権も消滅してしまう。
小説の千絵(=芦名千絵)の場合、徳川幕府瓦解の最中に、一千石の芦名家の
当主である父が死亡(母はそれ以前に死去)、彰義隊に加わっていた兄の新太郎は、
上野の山で彰義隊が壊滅してから生死が定かでない。
そして、薩長を中心とした旧幕府倒幕の戊辰戦争がまだ、続行中である。
ともかく、千絵は本所の親戚に身を寄せた。その早々、その親戚が
「自分は朝臣にはならない。無禄でもいいから『駿府』へお供する」
ということで、千絵も品川発の汽船に乗った。
この船は米国資本の客船で、旧幕臣を安い船賃で駿府清水港まで輸送することを
引き受けたのは、船長の義侠心によるものらしかった。
この輸送の悲惨さほど、旧幕府の末路を象徴するものはない。
小さな船に二千五百人ほどが詰めこまれ、かつては殿様とか、お姫様とか
言われたひとびとが、黒人の水夫に奴隷のように怒鳴りつけられ、
船倉の空気の悪さに発病するものも多かった。
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2 この司馬遼太郎の小説は、明治維新を終わったものと看做す西郷隆盛と
「いや違う、明治維新は始まった」と観る大久保の対立が大きな
構図を成していて、特に女性が前面に出ることはない。
上の小説の一部分は、家臣団の身の振り方がそれぞれの自由になり、
多くの家臣のひとびとが、徳川家の基盤である静岡に、
江戸から船で脱出する場面である。
3 まだ十三か十四の女性の千恵は、それまで経験したことの
ない苦しみを味わうのである。
この女性にとって、明治維新は決してあたらしいものではなかった。
口が裂けても新しいと言えない、只の呪うべきものでしかなかった。
自己の滅びと新しさが同じ、そんな新しさがどこが新しいのだ。
註)司馬遼太郎 「翔ぶが如く」(二) 文春文庫 2006年 211頁ー212頁
「新しい微笑いの詩」の投稿を一部分だけ、再放送しています。
4 時代が変わる。すると、それまで家の制度を守る、具体的にはこれまで
守られてきた制度的なものを踏襲することが最高の価値だった世界が
崩壊してしまう。もはや、その下で生きている一人一人を
守ってくれることは無くなってしまう。
そして、ひとはその際、二つの生き方を取るように迫られる。
そのまま、これまでの生き方を踏襲する。上の小説の中では、
六百人以上の家臣が静岡へ追いて行ったと言われます。
これに対して、別のヒトは、自分の才覚、決断と自己の
行為を信じて生き延びる(個人主義的な生き方の始まり?)。
上のブログを書いているわたし自身の場合、本家が太平洋戦争の
終戦と共に、農地改革の為、これまで所有してきた田圃が、
実際に田圃を耕していた一人一人に開放されるようになる。
結果的に、本家を頼りに生きて来た自分の家族は
貧しくなり、みんなが一人一人の頭の智慧を
絞って働くことを迫られたのでした。
🗻
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