2021-11-05

🦉 あーあ 愛(3)

 

5)1970年代に若者の共感を与えて、今でも 胸を打つ

歌のかぐや姫「神田川」   。

甲高い調子のこの歌の二番に、

《あなたが描いた 私の似顔絵、

それが ちっとも わたしに

似てないの》

と歌う場面がある。

 

愛の始まりの後、二人の交情の中で、見えてくるアラ。

 

あなたは上手いと思い、わたしの貌を書くけど、

それは違うのよ。私の顔はもっと、もっと良いのよ。

 

―――――でも、あなた以外に誰が居るの?

                       ≪  あなた   ≫と呼べるひとが?

 

 

 

結婚、子供の誕生、その子が小学校へ 通い出す、―――――――――  そうした中で、 愛は丸くなり、地震のような

揺れを起こさない。

 

そして40年後。二人には認知症の疑いが出始めているが。

 

子供の結婚、孫の誕生、その孫がまた小学校へ通い出す。

 

長い人生のなか、愛はその振動がゼロに成る。

 

だから、愛ってこの世で一番、不思議な存在?

 

 

 

2021-11-04

🐞 緑色のピーマンの鮮やかさ

11月初旬のこの季節、緑色の深まりって

いう事で眼に染み込むのは、

ピーマンの緑色です。

 

ジッ~と見つめていると、

ハートまで緑色に

なってしまいそうです。

 

 

 

 

 

 

2021-11-02

👀 あぁ、愛 2)

3)若さの ハプニングである愛の存在の不思議さ。

 

しかしながら、「自己、自分を与える」という言い方に

戻って、その意味をより明晰にしてみよう。

 

どうしたことか、誰かあるひとに自己を与える

そのことが起こらないことがある。

これをどう考えたら良いか。

 

4)二通り考えられるのではないか。

 

一つは、機会がなかた。自己を与えると言うが、

そういうひとが現れなかった、

そして言うなら、全然現れなかった。

 

 

他の一つは、自己を与えるという場合、そのことに

関して「自己を与える」そのことが何か謎になってしまう。

 

つまり、「自己を与える」の意味で

自己を与えたつもりだが、どうもそれは真の自己では

なかった。

真の自己ではないものを相手に与えただけだ。

 

だから、愛は生起するに至らなかった。

 

続きます

 

2021-10-31

👀 ああ、愛 1)

 

1) 学びの場所という言葉を使えば、

小学校から大きくなる、中学校、高校 ――――

大学 そして 大学院 と多くの 学びの場所 がある。

 

学ぼうと思えば、学ぶことが出来る 場所 であろう。

 

それでも、10000人に一人もいるだろうか、愛について

深く考える為に、私は大学 そして 大学院に席を 置くことを

決断したというひとが ーーーーーーー>。

 

もし、居たらお目出度い滑稽な人間ではないか、

100000人に一人が居るか、居ないかの。

 

2)   長い、長い人生の経験のなかで、

次の流れがあるように思う。

 

愛について、愛することを諦める

沈黙がやって来るまでに、

次のような流れがあるあると思う。

 

人生で初めて、これまで自己に欠けていた存在―愛につて、

何かが起きる、起きてしまう。

それはこうだ。

それは、わたしの生で初めてって言って良い。

 

—――誰かある人に、自分を与える。これがすごく、

気持ちがいい―—。

 

それを繰り返す度に、実に気持ちがいい。

何ということか、自分が変わったみたいだ、

 

家には、父、母、妹そして弟が居るけど、

誰も、教えてくれない、誰も知らないのだ。

 

そうそう、宝くじにあたったんだ。

 

そしてしかも、自分が愛し返すその振舞いが、急に

自分に ある活力を与えるのだ。

 

何と不思議なことだろう。世の中にこんな変なものが

あるなんて?

 

 

2021-10-25

🙂記憶と忘却(1)

1)記憶の全体と言えば、記憶のポジティブな側面である

記憶そのものと記憶のネガティブな側面を示すところの

忘却に分けられるのだろう。

つまり、記憶と忘却が記憶の全体と考える。

 

2)時間の視座から、この世を眺める私の手法の基本的な点は、《わたしがある》とは、そこに何らかの記憶の存在 が介在しているのではないか、というものである。

 

そして、記憶のポジティブな側面である記憶そのものを、

知識そして知恵の意味や命の自己充溢の観点から観たら

どうなるだろうか。

 

3)しかし、まず知っていることと記憶の結び付きを

深く考えることから先に進むべきだろう。

 

記憶がわたしのあることと切り離せないのは、わたしの現在を

考える時疑い得ない程に確かなことは、学歴である。

 

ここで学歴とは、個々の多くの記憶ではなく大木のようなものである。大学、短大或は専門学校を出ることにおいて

得られる学歴は、基本的な意味でのわたしのあることを

定めている。

 

知らないヒトと逢って自らを証する時、《  私はどこどこの大学の  何学科 を出ている  》等という。この太い線の学歴の

記憶に、日々の個々の記憶が付帯する。

 

続く

 

 

🍔冬が来る前に

🍔冬が来る前に

 

冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい。

冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい。

 

    冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい。

冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい。

 

 

紙風船が 唄うこの曲の素晴らしい所は、

 

『冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい』

 

というそれだけの台詞が

歌手の紙風船のソプラノとちから強い希望力に満ち溢れ、

あたかも、

それ以外の台詞がただのバックグラウンド ミュージック

になっているのではないか、と錯覚させる点です。

(でも、後述するようにこれは間違いでしょう)

 

 

この歌の作詞者は、僕には

【ただ、あの人に逢いたい】と自己主張せんが為に

歌を創ったと思われます。

 

でも、何があったのでしょうか。

 

冬が来る前に、とは、冬を超すちからが自分にはもうない、

だから、

冬がやって来る前に、今一度、あのひとと巡り逢いたいーーー。

 

この死を覚悟した魂の発露が私たちのこころを

揺さぶるのでしょうか。

 

 

■次は 冬が来る前に の二番の歌詞を掲載しています註)。

二番の歌詞が一番よりも優れています。

 

秋の風が吹いて  街はコスモス色

あなたからの便り    風に聴くの

落葉つもる道は   夏の思い出道、

今日も私一人

        待つの、待つの

 

冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい。

 

冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい。

 

~―――――――ーーーーーーーーーーーーーーー

 

註)NHk  12時台番組   10月23日 「昼のいこい」より

 

 

FW: 🍔冬が来る前に

 

 

🍔冬が来る前に

 

1)       冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい。

冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい。

 

      冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい。

冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい。

 

 

紙風船が 唄うこの曲の素晴らしい所は、

 

冬が来る前に、もう一度あのひとと巡り逢いたい

 

というそこだけの台詞が

唄う紙風船の希望のちからに満ち溢れ、

あたかも、それ以外の台詞がただの

バックグラウンド  ムュジックになっているようです。

(でも、後述するようにこれは間違いでしょう)

 

 

2)       この歌の作詞者は、僕には

【ただ、あの人に逢いたい】と言っている、

その為に歌を創ったと思われます。

でも、何があったのでしょうか。

 

 

 

 

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