2022-12-31

🎊想起の世界(3)

1「日本の青春」という表現を
使うことは、誰も学者の中には、
居ないかも知れません。
また、実際に、ここからが青春時代
だと 線引きしようと企てることは、
無謀なことに見えるかも知れません

2 故司馬遼太郎は晩年、日本の
歴史学者ですが、稀なことに、
哲学的思索の出来るひとでした
(普通は只の歴史学者であることが多い)

彼のエッセイ集の中に、次のような
言葉を見つけました

----- 自分を自由にする思考 ----

3 自分を自由にする思考 とは
けだし、自分を自由に し な い
思考の反対でしょう

まず、自分を自由にしない思考
とは何でしょうか?

トマス・アクィナスの
Objectio , Sed contra にあやかり、
後者を先に観てみましょう

4 英語の deliver とは、そこから
何か飛び出す感じです。
配達する、出産する、スピーチする、

liberty という名詞は、そこから
自由と訳されます

そして、体制の自由を表す
freedom とは区別されます
註1)

5 いま、「体制の自由」とは異なる
意味のポジティブな
【liberal 自由な】に向かう前に、「自由にしない」に
眼を向けてみましょう。

けだし、3 で私が言った
《自分を自由にしない思考》とは
この「自由にしない」の
ひとつの在り方です

6 とにかく、ある と同じように
自由という言葉も多義的です。
そのことに注意する必要が
あります。

つまり、厄介な言葉です


註1) 後で、日本の近代の歴史で
この意味での自由に言及します

💮続けます

2022-12-18

続ハビトゥスの探究の始まり 9

1人間が生き、死んで行く人生で、
次の言い方は誤りだと、
主張するのではないでしょうか

つまり、我々はいろいろの思いなし
ドクサ doxaのなかで死んで生き、
智 エピステ-メ-に与ることはない

智・知識 とは「あり」に関わり、
我々の存在は ある 以前の存在
だろう

2 ところが、そんなことはない❕

そもそも、給料を貰うのは、また
仕事がスムーズに進むのは、
わたしが「ある」に関わって
いるからだ

3 しかしながら、トマスの
habitus 論の
ユニークさは、人間が 状態(様態)
のなかで生きて行き、存在すること esse が簡単ではないと
知っていたことだ

君たちは、単に自身の(社会的)状態を
自身の存在と勘違いしている❗

状態はまだ、状態でしかない。
状態を至高の存在と思い込んで
生きるな

4 現代人の存在 忘 却 とは、
人間が自分を存在だと思い込んで、
生きていることだ

その meritum としての不安、
希望のなさ、信じることのなさ---

いま、必要なことは、
虚無の方向を向いている生の形を、
サンドイッチのように な か に
挟み、存在そのもの に向き
直ることだ

サンドイッチのように?何それ?
そう そ れ が、habitus だ 

habitusを通して、状態としての
在り方を esse へと、より
高める(このことが perfectio)

5 トマス・アクィナスはこれだけ
でも聖人と呼ばれることが
出来たと信じます

しかし、次回、ハビトゥスの探究
の始まり を bonumの視点から
更に見てみましょう

続く

2022-12-13

🎊想い出の世界 (2)

1 1948年という戦後に産まれた
私が歳を取ってから悩んだことは、
9月4日に生まれたことであった

その日は、「苦しむ」と
読めるから、自分の人生は
苦しみの連続ではないだろうか
と気に病んだ

だけど、その不満を家族のものに
打ち明ける訳に行かない。

2 その私の誕生日があまり気に
ならなくなったのは、随分後である

ここ何年も親しくしている友人の
誕生日が、わたしのそれよりもっと
 悪い と思われる日だった
ことを知ったからだ

何故なら、彼は何日か前後する
誕生日のことで、何か悩んで
いる様子は全然なかった

3 話を遡るのだが、二十歳に
成るのが、1970年代の前で
ある。大学に入って二年後半
から卒業する年までまともな
授業はなかった

それでも、今から思えば1965年
以後何年かの日本は良き時代で、
もっと言えば、日本の青春時代である

4 舟木一夫が「仲間たち」という
青春歌謡のなかで

  思い出すのは、故郷の道を
  みんな一緒に離れずに
  行こうと言った
  仲 間 た ち

と歌うのですが、
想起というものには、共同体的な
ものに一番、関心が向かう。しかし、
国や市町村の政治的なことではなく、
高校時代の仲間の振舞いが一番
印象に残るものです

その後、大学、就職、結婚~~~は
それ以上の記憶とはならない

老いての孤独の深まり、昔の青春
時代は逆に目の前に迫って来ます

5 個人的な感想に過ぎないと
嗤うひとがいるかも知れませんが、💡
昭和のあの時代は、歴史的にも
「日本の青春」と呼び得る
時代ではなかったでしょうか?

💡続けます