2021-11-27

愛 再考(4)

 

 

 

 

12) 愛の存在とこの世の持つこととの闘いは

後者が勝ち、

前者がオーラを放つのは一時のことだろうか

 

   前に一度、愛について沈黙する時がやって来る

という言い方をしたことがある

 

私達の経験する愛とは、長い時間の中では、

この世での  to have の世界に勝つことはないという

立場を言ったものだ

 

 

結婚して、新しくこの世を観る。

それはこの世から離れることではなく、むしろ

気を引き締めてこの世の人混みの間を  泳 ぎ 回 る

ことだ

 

To beとしての愛が日々、防衛に追いまくられ、

二人がより深い愛の経験に逃げ込まない限り、

愛は色褪せ、その在ることを失ってしまう

 

そうして、人生の長い時間のなかで、

愛について語ること、それをしなくなる。

口をチャックして

黙り込む

 

2021-11-22

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隣の家の庭は、僕の庭からはラッキーなことに

まるで 垣根を除けば自分の庭のようにみえる。

隣の家自体が右に寄っていて、yの大文字の

Y の/、右斜辺に構える。

 

その庭に輝く赤い色がピークです。

 

二階のヴェランダから撮った。

2021-11-19

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みかんが何個か、なりました。

昨年は20個程の実がなったので、今年は少ないです。

だけど、今年は一つ一つの実が少し大きくなっています。

 

 

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レタス

この季節に黄色、黄緑色は少ない。

畑のなかで、レタスの黄緑色はずば抜けて

その色が眼に浸み込んで来る

2021-11-18

🍚 愛再考(3)

10  結婚後にg始まる二人の熱い生活は、
実は、学歴や職歴、その他の富とは無関係です。

結婚する前には意識していた、自己の家の

格式、財産の多さ 少なさ、また父親や母親との

葛藤、学歴等、

簡単に言うと  持つ  to  haveの世界が、

信じられないことに、
愛の存在-ある   to   be  の世界に

ひざまずくことが起きてしまうのてす。

11) 
視野を拡げてみれば、
自分の小さな時から受け入れて来た躾、
大きくなっての他人への振舞い方の善悪を

越えた価値が現存することを

体を持って思い知るのだ。

これはそれまで歩いていた階段が急に高く上昇する

という経験したことのない革命である。

比喩的に言えば、半分死んで生きていた若者が

甦ることのような命の蘇生を意味するからである。

 

 

2021-11-14

🍷 愛 再考 (2)

8)   離れている、という言葉を使えば、自己を与えると

いう場合の 自 己 と  結婚という制度における  自己を

与えるの

   では離れている。この二つは同じではない。

 

というのは、結婚における自己を与えると言う時に、

差し示しているのは学歴そして 職歴、家の財産

その他であろう。

 

これは、愛とは自己を与えることと規定する時、

何か異質なこと、異質な経験に属すると思われる。

 

9)何故なら、愛が自己を与えるものと考える時に、

ここで浮かぶ概念はある信念 beliefのことだから

である。

 

二人の異性が交際のなかで、それぞれ自分の信念を語る。

これは言葉を介しての自己の表白である。

この表白―信念の存在に対して、男性、女性

は よい  と受け止める。

 

相互にこの確認が終わってしまうこと。

 

これが結婚という制度の始まりで、

ハッピーな二人が人々の前に現れる時である。

 

 

 

 

 

 

 

2021-11-07

☕愛 再考

 

6)愛とは自己を与えること、と考えることを辞め、

新たに、愛とは自己を求めこと、にしたらどうだろう。
自己に、フワッと風船の増幅みたいなことを期待するのだ。


この場合、自己を求めるとは

相手のうちに自己を求める、となる。

しかし、ここでもまた、自己を与えると同じ

揺れがある。

つまり、相手に自己を求めすぎることが起こり、

相手は愛から離れてしまうからだ。

まだ、自己を与えることで悩み、それが相手の為に

ならないから、
その自己を与えるのを控えよう、とする考えが

より謙虚だろう。

自己を求めることは、ある場合、相手を

理想化することに繋がり、危険である。

7
)自己を与える、そしてその点で間違えるほうが

まだ、より良く愛について考えているのではないか。

何しろ、自分そして自己を与えると言う時、

そこに「   自己を持っているse habere   

前提としてなければならない。

                    0
あなたを愛しています。
結婚したいですが
🎵

              00
では、お聴きします、あなたには
どんな自己が有ります?

       0
ええと、(沈黙)―――――――――――

           ―――――何かあったっけーーーーー

 

続けます

 

 

2021-11-05

🦉 あーあ 愛(3)

 

5)1970年代に若者の共感を与えて、今でも 胸を打つ

歌のかぐや姫「神田川  

甲高い調子のこの歌の二番に、

《あなたが描いた 私の似顔絵、

それが ちっとも わたしに

似てないの》

と歌う場面がある。

 

愛の始まりの後、二人の交情の中で、見えてくるアラ。

 

あなたは上手いと思い、わたしの貌を書くけど、

それは違うのよ。私の顔はもっと、もっと良いのよ。

 

―――――でも、あなた以外に誰が居るの?

                        あなた   ≫と呼べるひとが?

 

 

 

結婚、子供の誕生、その子が小学校へ 通い出す、―――――――――  そうした中で、 愛は丸くなり、地震のような

揺れを起こさない。

 

そして40年後。二人には認知症の疑いが出始めているが。

 

子供の結婚、孫の誕生、その孫がまた小学校へ通い出す。

 

長い人生のなか、愛はその振動がゼロに成る。

 

だから、愛ってこの世で一番、不思議な存在?

 

 

 

2021-11-04

🐞 緑色のピーマンの鮮やかさ

11月初旬のこの季節、緑色の深まりって

いう事で眼に染み込むのは、

ピーマンの緑色です。

 

ジッ~と見つめていると、

ハートまで緑色に

なってしまいそうです。

 

 

 

 

 

 

2021-11-02

👀 あぁ、愛 2)

3)若さの ハプニングである愛の存在の不思議さ。

 

しかしながら、「自己、自分を与える」という言い方に

戻って、その意味をより明晰にしてみよう。

 

どうしたことか、誰かあるひとに自己を与える

そのことが起こらないことがある。

これをどう考えたら良いか。

 

4)二通り考えられるのではないか。

 

一つは、機会がなかた。自己を与えると言うが、

そういうひとが現れなかった、

そして言うなら、全然現れなかった。

 

 

他の一つは、自己を与えるという場合、そのことに

関して「自己を与える」そのことが何か謎になってしまう。

 

つまり、「自己を与える」の意味で

自己を与えたつもりだが、どうもそれは真の自己では

なかった。

真の自己ではないものを相手に与えただけだ。

 

だから、愛は生起するに至らなかった。

 

続きます