2019-08-19

言葉を診て生きる   ブログ 再 放送


新しい大人の童話(5)
言葉を診て生きる  ブログ再放送 2013-05-07 Tue


プロローグ:
あるひとの妻が約二千年以上を経て、
亡霊のように貴方に、語り掛けます。

🔭 
 えぇ、医者でした。

 身体を診るのが医者ですが、わたしの夫は変わったことに、
 ひとの言葉を診るところの医者でした。

 尤もらしいことを言うひとが嫌いで、しばしば
 「君は何も言っていないよ」と呟くのです。その時、
 「君自身の存在はゼロかもね」と悟らせたかったみたいです。


 世のヒトの恨みを買ったのでしょうね。

 あらぬことで告訴され裁判の結果、信じられないことに、
 死刑になりました。


 でも、わたしの夫は「それも悪くない」と考えたようです。

 ひとの話す言葉をよく診察し、そのひとのねじ曲がった魂を
 矯正する仕事は、神が自分に与えてくれた天命だと
 信じきっていたからです。

 言葉(本当に言葉だけにしか関心がなかったひとです)を
 良く診る仕事を放り出してまで、生きるに値する他の人生は
 考えられなかったのです。


 妻であるわたしは、夫を世界一、立派であると今でも
 誇らしく思っております。

 あなた方が大学で受ける、深く考えることに関わる
 授業の端緒が、夫が受けたデルポイの神託にあったことを
 御存知でした?

 その時に、夫が経験した、驚愕、恐れそして不安から
 今日の philosophy と呼ばれる学問が生まれたのですよ。

🗻








2019-08-09

心に留まる恋愛映画(2)  ブログ 再 放送

心に留まる恋愛映画(2)    2013-05-16 Thu
🇦🇪🇦🇪🇦🇪

1 ビィスコンティ監督作品、「夏の嵐」は恋愛を主題として描いた映画としては、
いま一歩だったかも知れません。
むしろ、貴族階級の滅びの映画として見たら好いかも知れません。

イタリアの国のある伯爵夫人が戦を交えている敵国オーストリアの将校と恋に陥ります。
そして、その恋ののめり込み方は、伯爵夫人の方がはるかに強かったようです。
その証拠に、将校が休暇が終わり、軍に復帰する時が来た時、伯爵夫人は
何と、その将校との愛を終わらせないで、その持続を望むのです。

実は正にその時、映画の局面は一変してしまいます。

2 将校はここで彼女を拒絶し、関係を清算すべきでした。
そのシーンに来ると、わたしは映画はここまでだ、と思いました。案の定、
医師を買収し、仮病を装い、伯爵夫人によって匿われた元将校は、
信じられない、変わり果てた人間に変身してしまうのです。

何故なら、元将校が恋を続けられる条件は、将校という身分が保証されて
いる時だけだったのです。彼女はこの事に気付くべきでした。

3 こころが醜く変容した甘い顔のオトコ、このオトコと逢う為に死に物狂いに
なって今日まで来たわたし。何と言うバカなわたし。

最後の密会の後、彼の裏切りに対して、夫人はオーストリア軍駐留司令部への
密告で答えます。


元将校は脱走兵として逮捕され、あっという間に、ついさっきまで味方だった
軍の仲間達による銃殺刑に処せられます。 
淡々としたロングショットの映像は、監督の冷たい憎しみさえもを感じさせます。

4 戻りましょう。

二人の最後の密会の出逢いとなった一室に、元将校が呼んでいた女性が現れ
ました。夫人が予想もしなかった三人になりました。
伯爵夫人は、侮辱され屈辱を感じます。
ところが、その無垢な感じの(呼ばれていた)女性の美しいこと!
そして知的なこと!

5 恋はある人格、人格的なものを中心軸にして生起します。自分に欠けて
いる人格、人格的ものの自覚とその異性の現前化。この時に、持続した愛と
結婚への道が開かれ、また二人の愛が持続する習慣を通して育まれるのです。

ところが、人格的なものを忘却して相手に唯、囚われる時、得るモノは果たして
何かあるのでしょうか。滅びがあるのでしょうか。


しかし、わたしは変なことを言っている?
あなたは、いいえ、恋は人格的なことと関係がない、と、
考えておられるのでしょう。

近代人、そして滅びを気にしながら生きている現代人の
一人一人が、そこに居るまた、あそこに居るわたしたちかも
知れません。

🇦🇫🇦🇫🇦🇫



2019-08-05

東アジア海底トンネル  その二  ブログ再放送

東アジア海底トンネル  その二  2013-09-06

🌏🌏🌏

4 対馬と壱岐との間の海底トンネルの中で、鹿児島市に住む畜産業者が韓国の光州
(クァンジュ)の業者から買い入れた複数の豚を地元に運送中に起きた事故と
豚一頭がトンネルを遁走した事実は、海底トンネルの管理当局を通してマスコミ関係者に
知らされ、その後インターネットや新聞のメディアに発信されました。
海底トンネルが開通して、初めて事故だけに、トンネルの安全面の管理関係者だけで
なく、このトンネルに近隣している多くの人々の関心を惹いたのでした。


次の日の朝、九州の地方新聞に遁走した豚の記事が掲載されていました。

檻に入れられ、目が半分しか開いていない子豚が写っていました。

探索に係わった壱岐の畜産業者とのインタビューが次の記事です。
○事故を知らされ、畜産協会の二人に連絡が入ったのですね。
 ーー ええ、特に麻酔銃やライフル銃が必要だとの連絡で、直ぐ
   基地へ駆け付けました。

○子豚を取り押さえた状況は?
 ーー 警察の車輌に誘導され、徐行しながら対馬の方に進んで
   行くと、左側緊急避難用のスペィスに小豚が寝て居たのです。

○麻酔銃は使われなかったのですね?
 ーー そうです、ただ念の為眠らせる注射を施しました。
○走り疲れて倒れ、寝てしまったのでしょうか?
  ーー そのように理解しています。まだ、産まれて何ヶ月で、
    走る力は弱かったと思います。

    それに、何と言ってもトンネル内は地上と違い、
    涼しんです。 

5 一ヶ月後、その子豚は鹿児島市近郊に新設される予定の動物園に
寄付されることになりました。

地元に連れて帰った12頭の子豚は時間をかけて太らせ、食肉にする筈だったのですが、
遁走した子豚をどうするかに関しては、その業者の家族の間で意見が分かれてしまった
のです。結局、新設予定の動物園に寄贈を申し出たのです。

動物園の園長内定者は新しいアイディアを思い付きました。
「豚と猪は同じ仲間だ。子豚の横に柵をして、隣に新たに猪を一頭、並べて置こう。
 その違いを子供達に見てもらうのだ。」

子豚の名前はネルトン ジョン、猪の名はハラチャゲ ダイに決まりました。

もうすぐ、十月の後半になったら、地元の子供達にお目見えするとのことです。
入場者が多くなったら良いですね。

🚩🏴



2019-08-04

東アジア海底トンネル   ブログ 再 放送 2013-08-29

新しい大人の童話(11)
🏍️🏍️🏍️

1 2033年八月、日本列島は北海道と沖縄を除き、どの地域も四十度を超える暑さが当たり前になっています。
熱中症の為、体調を然るべく維持できない人々が溢れるようになると、十年前、2023年
一月一日、日本政府は決断して国民にある通達を出しました。

毎年、八月一日から同三十一日まで、日本国民は仕事を控え、避暑に入るように。

もちろん、アイスクリーム、氷や冷たい飲み物を作る企業で働いている人達、毎年多くの
観光客が訪れる都市で働く人々、そしてまた、市民の生活に密着した公務員や労働者には適用されないのですが、健康な人間の体温36.5度をはるかに超える暑さの前に、
多くの企業、会社や自営業者が休みを取るようになりました。

2 九州、中国地方で避暑を取ることの出来る多くのひとが、日本を出て朝鮮半島や中国の
旧満州地方へ足を伸ばすことを楽しみにしています。


八月に入って、あと一週間で八月の例の休暇が終ろうとする、猛烈に暑い日のお昼頃、
佐々木と中村と言う名前の交通機動隊の二人は、後ろに民間の軽トラックを先導する形で、長崎県壱岐市にある交通機動隊基地を出発し、対馬に向かって、海底トンネル内の道路を北上しています。


佐賀県唐津市から朝鮮半島の南端にある韓国の都市釜山への海底トンネルが、2030年四月に開通して約三年経ちます。

このトンネルは「東アジア海底トンネル」と命名され、半島の韓国や北朝鮮はもちろん、アジア大陸のロシア、インドそしてまた中国、その他の国々からも日本にやって
来ることが出来るように成りました。

韓国、釜山の海底トンネルの入り口から、対馬と壱岐の二つの島の西側を通り、終点
唐津のトンネルの出口まで最短約六時間五十分で着くことが出来ます(時速は最高
85キロに制限されています)。

トンネルは三階から成り、最上階はソウルと福岡を結ぶ新幹線が走っています。
一階と二階は、車両走行用に用いられます。

トンネル内での発生可能な交通事故やこれに付帯して起こり得る火災等の発生時には、
走行使用中の一階部分(追越車線を含む二車線が二つある道路)は直ちに閉鎖されます。
そして、通常未使用状態の二階の同じ形の道路が開放されるのです。


3 壱岐の交通機動隊基地で待機中だった佐々木と中村の二人に、緊急無線連絡が
は入ったのは、こうした状況だったのです。

対馬と壱岐のトンネル内で豚を積んで、鹿児島県に帰っていた中型トラックがカーブで転倒、豚が一匹逃げて壱岐方面へ逃走中とのこと。

現在、トンネルの一階部分は閉鎖され、二階が開放されています。警察関係の二人と畜産関係者の二人が、一階部分のトンネル内に居る筈の豚一匹を捕獲するようにとの命令です(続く)。

🏇🏇🏇

2019-08-02

時間を問うとは

1 アウグスティヌスは、時間とはみんなが知っているものだ、
だけど、更に突っ込んで時間とは何かと問われるならば、
ひとはうまく応えられない、と語っています。

これに対して、僕は「そんなことはない!」と考えて、四月から
始めているのが『時間』です。

2 大学生の頃、研究室の演習は、ギリシャ、中世そして近世、現代の
三つがありました。

この中で、ギリシャ、『プラトーンの対話篇』のある演習が終わると、
研究室に帰って来た同時代のある出席者が 「割れる」
という日本語の表現を使うのを何回か、耳にしたことがあります。

こういう文脈です。

対話篇の中で、対話者の一人が自分の主張を打ち出して行く時、
命題という言葉の形で先に議論を進めていきます。
ところが、ある時、言葉が厳密に使われないことが起こる。

この時に、言われている言葉の意味が二義的な側面を帯び、
その言表をその場で聴いている別の対話者が議論の行く先が
掴めなくなり、困惑に陥ってしまうのですね(或いは、顕に
なっている言葉の二義的な側面に気付くことがなく、この別の
対話者も共犯者?のように先へと一緒に進む)。

正確な言い方をすれば、対話者が語っていることが論理的では
なくなってしまっている。

これを、「割れる、二つに割れる」と言っているのです。

3 ところが、今、上で言われていることの「絞り込み」のなさ、
とは対極にあたる考察の場面が、「時間」ではないか、と考えます。

時間とは何か、を問題にする際、絞り込む仕方での考察が不可欠だ。
秒的な流れの時間と、何処かそれを超えた日常の時間を一緒にした
仕方で時間を問うことは、意義のないことだ。
つまり、絞り込む仕方での考察を考えないといけない。

そして、この絞り込む仕方での考察が、「二つに分ける」でした。

4 誰かが、何かを語り出す時、まず、言葉を二つに分ける自己
チェックをしているか、どうかを確認しながら、自分が相手の
言葉を聴くことがとても大切です。

ひととの信頼関係の構築が始まるのは、ここからだと考えます。

🗻