1人間が生き、死んで行く人生で、
次の言い方は誤りだと、
主張するのではないでしょうか
つまり、我々はいろいろの思いなし
ドクサ doxaのなかで死んで生き、
智 エピステ-メ-に与ることはない
智・知識 とは「あり」に関わり、
我々の存在は ある 以前の存在
だろう
2 ところが、そんなことはない❕
そもそも、給料を貰うのは、また
仕事がスムーズに進むのは、
わたしが「ある」に関わって
いるからだ
3 しかしながら、トマスの
habitus 論の
ユニークさは、人間が 状態(様態)
のなかで生きて行き、存在すること esse が簡単ではないと
知っていたことだ
君たちは、単に自身の(社会的)状態を
自身の存在と勘違いしている❗
状態はまだ、状態でしかない。
状態を至高の存在と思い込んで
生きるな
4 現代人の存在 忘 却 とは、
人間が自分を存在だと思い込んで、
生きていることだ
その meritum としての不安、
希望のなさ、信じることのなさ---
いま、必要なことは、
虚無の方向を向いている生の形を、
サンドイッチのように な か に
挟み、存在そのもの に向き
直ることだ
サンドイッチのように?何それ?
そう そ れ が、habitus だ
habitusを通して、状態としての
在り方を esse へと、より
高める(このことが perfectio)
5 トマス・アクィナスはこれだけ
でも聖人と呼ばれることが
出来たと信じます
しかし、次回、ハビトゥスの探究
の始まり を bonumの視点から
更に見てみましょう
続く
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