2022-12-18

続ハビトゥスの探究の始まり 9

1人間が生き、死んで行く人生で、
次の言い方は誤りだと、
主張するのではないでしょうか

つまり、我々はいろいろの思いなし
ドクサ doxaのなかで死んで生き、
智 エピステ-メ-に与ることはない

智・知識 とは「あり」に関わり、
我々の存在は ある 以前の存在
だろう

2 ところが、そんなことはない❕

そもそも、給料を貰うのは、また
仕事がスムーズに進むのは、
わたしが「ある」に関わって
いるからだ

3 しかしながら、トマスの
habitus 論の
ユニークさは、人間が 状態(様態)
のなかで生きて行き、存在すること esse が簡単ではないと
知っていたことだ

君たちは、単に自身の(社会的)状態を
自身の存在と勘違いしている❗

状態はまだ、状態でしかない。
状態を至高の存在と思い込んで
生きるな

4 現代人の存在 忘 却 とは、
人間が自分を存在だと思い込んで、
生きていることだ

その meritum としての不安、
希望のなさ、信じることのなさ---

いま、必要なことは、
虚無の方向を向いている生の形を、
サンドイッチのように な か に
挟み、存在そのもの に向き
直ることだ

サンドイッチのように?何それ?
そう そ れ が、habitus だ 

habitusを通して、状態としての
在り方を esse へと、より
高める(このことが perfectio)

5 トマス・アクィナスはこれだけ
でも聖人と呼ばれることが
出来たと信じます

しかし、次回、ハビトゥスの探究
の始まり を bonumの視点から
更に見てみましょう

続く

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