1)記憶の全体と言えば、記憶のポジティブな側面である
記憶そのものと記憶のネガティブな側面を示すところの
忘却に分けられるのだろう。
つまり、記憶と忘却が記憶の全体と考える。
2)時間の視座から、この世を眺める私の手法の基本的な点は、《わたしがある》とは、そこに何らかの記憶の存在 が介在しているのではないか、というものである。
そして、記憶のポジティブな側面である記憶そのものを、
知識そして知恵の意味や命の自己充溢の観点から観たら
どうなるだろうか。
3)しかし、まず知っていることと記憶の結び付きを
深く考えることから先に進むべきだろう。
記憶がわたしのあることと切り離せないのは、わたしの現在を
考える時疑い得ない程に確かなことは、学歴である。
ここで学歴とは、個々の多くの記憶ではなく大木のようなものである。大学、短大或は専門学校を出ることにおいて
得られる学歴は、基本的な意味でのわたしのあることを
定めている。
知らないヒトと逢って自らを証する時、《 私はどこどこの大学の 何学科 を出ている 》等という。この太い線の学歴の
記憶に、日々の個々の記憶が付帯する。
続く
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