2022-06-26
👍 続 ハビトゥスの探究の始め 2
太宰府市の天気情報を観て
出ます。
昨日リハビリから帰る3時
過ぎ、何ヵ所かで、側溝
から水が噴き上がって
いました
一時間置きの天気予報が
こんなに外れたのは
珍しいです
予想では、一日中で1mm
そこいらの雨が
降る筈でした
1 鳥取大学で開催された学会で
口頭発表した原稿のB4一枚が
見付かっただけですが、
こちらのスタイルで書き直して
みようと思います
発表のタイトルは、
「習慣論」と「徳論」の根底に
見出される思考の意味 ーーー序論的な考察ーーーで、
まだその時、ハビトゥス を
習慣 と訳していて稲垣先生に
従っていました
2 考察の端緒 substantia ipsa
habituum
トマスの「神学大全 第二ー一部」
の49問題以下で展開される
ハビトゥスについての最初の
「問い 」は De substantia
ipsa habituum (諸々のハビトゥ
スの本質そのもの について)
というタイトルが施してある
3 不思議な気がするのは、それは
決して単数形 habitus の本質
そのもの ではない。
確かに、考察の始まりにおいて
habitus 本質そのもの という
言い方が為されるのは
早すぎる
4 しかし複数形のハビトゥスに
ついて substantia を問う意味は
何だろうか。
そして何故、ipsa が付加されて
substantia ipsa habituum
なのか
続けます
2022-06-16
続 ハ ビトゥスの探究の始め 1
自己をある仕方で続けるでした
それが要約になる、と考えます
でもそれで終わりでないのです
前回までの話が
De substantia habituumだったら
終わりだったのかも知れません、
しかし、49問題は
De substantia ipsa habituum
になっていて、諸ハビトゥス
のある《そのもの》について、と
なっているのです
わたしはまだ、substantia ipsaまで、
来てないのです
2 この季節に初心者向けにまとめた
6回の元に成る原稿が、25年ぶり
偶然出て来て、
その古い原稿は一読して、ひどく
難しくて
ひぇーとねをあげました。
一番の違いは、 ipsaをしっかり
睨んでいるか。
昔の原稿は睨んでいる、
新しいのは、睨んでいない
続けます
2022-06-12
訂正が二つあります
福岡の天気は、快晴です
畑で取れた収穫物があります
大きくなった梅、ビワそして
小さい白梅です
白い色で小さい梅は、普通の梅と
違い、少甘いです
二年で、少量ですが、早くも
実を着けています
要養護は要介護の誤り
アウグストゥスはアウグスチヌスの
誤りです
あやまります
2022-06-09
ハビトゥスの探究の始め 《6》
扱っている 本を、みえる
あるものの あり方を示すものだと
言いました
これに対して、アリストテレースの世界から離れて、トマス自身は
ハビトゥスを考えていることが
大切なことだと考えます
単に、みえるあるもののあり方
だけではなく、善悪の世界まで話を
拡大している、
しかも、トマスの考察の中心は
善悪の世界である
2 トマスの49問題が始まる前に
あった神学大全の考察の流れは
次のものでした
至福とは何か
その至福に至る経験とは何か
だが、(魂の)行為 actus ではない、
また
魂の受動である 感情・情念
でもない
トマスは、至福という神を観る
経験の可能性を、更に深く
考えようとして、ここの
49問題に入っているのです
3 その諸々のハビトゥスが何で
あるかの考察の冒頭で、
ハビトゥスが質である、第一の質
であると言っているのです。
第一の質とは、まず、自己を持ち
続けていることを重視することに
よって
習慣の語感に確かに近いことが
言えます
したがって、性向という翻訳は
二重の意味で誤りです。
一つはトマスの考察の流れが読めていない。他の一つは、自己を持ち続ける意味の中で、性向は自然的な概念で
あり、そこから、性向は自己という
言葉が厳密に使えない限られた
ものだ
また、習性も自己の経験の意味が
希薄で使うことが出来ません
4 それでは、習慣はベストな訳か。
わたしが持続という言葉を使うのは
、二つ理由があります
一つは、安定を重視するアリスト
テレースの hexis の語感を大切に
している
他の一つは、習慣の意味が持つ
欠陥である《単なる繰り返し》
の意味を排除出来る。
持続は自己が続けるであり、この
観点では持続は、単なる続きと
異なります
補足になりますが、意識の持続を
語った現代の哲学者とは
無関係です
続けます
2022-06-06
ハビトゥスの探究の始め 《5》
哲学することを考える可能性を熟慮して、性向の哲学よりまだ、習慣の哲学の方がましだ、と考えたのです
性向の哲学では、地味過ぎる
2 日本で、プラトーンやアウグストゥスの研究で知られている 加藤先生は
一度、トマス・アクィナスの神学大全の感情・情念の考察を評価する論文で
habitus を 習性 と訳されています
3 トマスの ハビトゥスを深く理解する際、大切なことは 英語のhabitとは
異なる言葉であることです
単に時間の観点で続く質ではなく、安定性の点で持続する高い質が
habitusです。
habit は単に、行為主義的な時間の
持続で使われますから、habitus と
区別すべきです
4 habitus は 状態と訳されますdispositio と対になっていて、安定性の高い と 安定性が低い 高くない が 分かれ目です。
この二つが、第一の質のトータルな
有り方になります
今日、状態 はよく使われる言葉です。習慣より拡いと思います
ひとの病状から、国の国状までわたしたちに身近な言葉です
5 次回、わたしが habitus
を習慣ではなく、持続と訳した理由を
説明します。
2022-06-02
ハビトゥスの探究の始め 〈 4 〉
1 いよいよ、諸 ハビトゥスの本質についての
探究が始まります。 つまり諸々のハビトゥス とは
何であるのか? そして、諸々のハビトゥスは如何なる
意味で ある のか?
この探究を、稲垣良典先生のハビトゥスの
日本語訳である 習慣 を否定的に観る
観方を中心軸にしながら進めます。
そして、それとは正反対に、稲垣の習慣 を
肯定的に観る観方を提示したい、と考えます
2 第一項 、第二項(第49 問題)の 設問は
ハビトゥスは 質 であるのか そして、
どんな意味での質であるのか です
この箇所に入って、ある具体的な文脈で
ハビトゥスが使われます。
稲垣先生の習慣という日本語が誤訳ではないか、と
叩かれたのはここです
3 アリストテレースの カテゴリアイ という書物は、
目に見えるあるもののあり方を示していく本ですが、
その中で 質 (どの様にあるか)の 4つのうち、
第一の質を語る場面があります
Hexis ヘクシス(安定性の高い意味での 性向)が
ハビトゥス habitus の元の言葉だから、ここ
トマスの考察場面でも 性向 と訳すべきだ
稲垣の 習慣は性向 という意味を逸脱している
4 稲垣先生は、第一項の ハビトゥスの 言語的な
分析を大切になさったようです。
Habitus は 《持つ》から来ている。
一つは、対象として何々を持つ、持っている。
他の一つは、自己を持つ、持っている
ハビトゥスが語られるのは、この後者の方である、
つまり、自己を持っているse habere という言葉の
使われ方が ハビトゥスを考える時、一番大切である
5したがって、ハビトゥスが 質であることを
ハビトゥスの存在の視点から考察する第二項は、
あくまでも第一項の
言葉の分析の枠組みで考えなければならない、
自己を持ち続けるが、性向hexis の
大きな意味である
簡単に言えば、トマスは自分の視点で
アリストテレース カテゴリアイ を
読み、そこにある距離を置いている
続けます
●訂正
前回の 3 では、出 隆を井出隆と 間違えて
書きました。失礼いたしまし