2022-06-02

ハビトゥスの探究の始め 〈 4 〉

 

  いよいよ、諸 ハビトゥスの本質についての

探究が始まります。 つまり諸々のハビトゥス とは

何であるのか? そして、諸々のハビトゥスは如何なる

意味で  ある のか?

 

この探究を、稲垣良典先生のハビトゥスの

日本語訳である 習慣 を否定的に観る

観方を中心軸にしながら進めます。

そして、それとは正反対に、稲垣の習慣 を

肯定的に観る観方を提示したい、と考えます  

 

  第一項 、第二項(第49 問題)の 設問は

ハビトゥスは 質 であるのか そして、

どんな意味での質であるのか   です

 

この箇所に入って、ある具体的な文脈で

ハビトゥスが使われます。

稲垣先生の習慣という日本語が誤訳ではないか、と

叩かれたのはここです

 

3 アリストテレースの カテゴリアイ  という書物は、

目に見えるあるもののあり方を示していく本ですが、

その中で 質 (どの様にあるか)の 4つのうち、

第一の質を語る場面があります

 

Hexis ヘクシス(安定性の高い意味での 性向)が

ハビトゥス habitus の元の言葉だから、ここ

トマスの考察場面でも 性向 と訳すべきだ

 

稲垣の 習慣は性向 という意味を逸脱している

 

4 稲垣先生は、第一項の ハビトゥスの 言語的な

分析を大切になさったようです。

Habitus は 《持つ》から来ている。

一つは、対象として何々を持つ、持っている。

他の一つは、自己を持つ、持っている

 

ハビトゥスが語られるのは、この後者の方である、

つまり、自己を持っているse habere という言葉の

使われ方が ハビトゥスを考える時、一番大切である

 

5したがって、ハビトゥスが 質であることを

ハビトゥスの存在の視点から考察する第二項は、

あくまでも第一項の

言葉の分析の枠組みで考えなければならない、

 

自己を持ち続けるが、性向hexis

大きな意味である

 

簡単に言えば、トマスは自分の視点で

アリストテレース カテゴリアイ を

読み、そこにある距離を置いている

 

続けます

●訂正

前回の 3 では、出 隆を井出隆と 間違えて

書きました。失礼いたしまし

 

 

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