1 知性 と 感覚を区別する考察において厄介な問題が有ります。
Imageという言葉を何処に置いたらいいのか?
どういうことかと言えば、 image と呼ばれる存在は、
感覚的な働きにおいて見出されます。
然しながら、この存在はまた知性的な働きにおいて
も見出す事が出来ます。
2 image を 感覚のちから、知性のちからと同じような視点で、魂のどの様なちからかと問うてみますと、
想像力 imagination がそれに当たります。
今までの僕のブログ記事の考察手法である
『二つに分けて考える』を適用して
image―想像力を再把捉しますと、
想像力は二つに区別されます。
感覚に近い想像力 と 知性に近い想像力です。
3 朝の目覚めの音楽ということで、グリーグの
ペールギュントの音楽とベートーヴェンの「田園」をよく聴きます。
グリーグのペールギュント 第一組曲は、僕の
小学校卒業式の開式の音楽でした。二列に
並んで、合わせて三クラスの生徒が会場の講堂に
入って行く際に流れた、如何にも朝 (=別れの朝?)という音楽でした。
この音楽を聴くと、今でもその場所、講堂の中の
Image が生き生きと浮かんで来ます。
4 難しいのは、この想像は、感覚的なimage に属するのか、それとも知性的な image に属するのか を定めてしまうのが、簡単ではないことです。
恐らく、人生において初めての別れ・離別を
経験したことが根底にある為、自分の
心の中で知性的な image に
算入されているように考えています。
その後の卒業式は、中学であれ高校であれ
記憶にないです。
5 上の話しは、耳から入って来る音楽を念頭に
置いて image ― 想像力を考えてみました。
全体として理性とは何かを考える端緒ですが、
次回は 目に見える世界で image ― 想像力を
考えてみます。
🙁😧🙁
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