3  湯川秀樹の父親の名は小川琢治(たくじ)である、その子三男である                  
秀樹は養子になる前は、小川秀樹と呼ばれていた。
  
  以下はそのままの引用です。
  
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  父琢治は、若いころには、地質調査のために全国を歩きまわったし、           明治三十三年、パリで開かれた万国地質学会議には、三十歳で日本の代表として参加している。
  
  私が知ってからも、仕事には非常に熱心であった。が、そういう学者というものは、とかく子供たちに対して、ある場合には無頓着でありすぎ、ある場合には厳格でありすぎ、子供の目から見れば、                    やさしさに欠けることもないとは言えないないようだ。
  
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  『子供を甘やかしてはいかん』父は、母に向ってよくそう言った。
  『そんなことをおっしゃっても、まだ小さいんですから--』
  父はしかし、子供が子供らしいことを美徳だとは認めなかったようだ。 
  【旅人18頁-19頁】
続きます
  
  註)角川文庫   旅人    ある物理学者の回想   昭和35年
  
  🌌前回の間違い:🌔ノーベル物理学賞賞を受賞した年は1948年
🌒  祖母は母方ではなく、父方でした。
 
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