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1 ちぢめるの意味を考えますと、何をちぢめるかで、いくつかの意味を
考える事が出来ます。
そして、ちぢめる対象に視線を向けます。すると、次の場面が考えられます。
あ)ものをちぢめるから、盆栽や生花等々の行為が浮かんで来ます。
い)縮小と言い変えてみますと、ひとやものとの間の距離を縮小する行為。
う)この距離をちぢめることを精神のレベルで考えますと、
特にひとに対する(限られた仕方での)気遣い。
え)このう)での気遣いがネガティブに現われる場面
2 以下、う)とえ)を考えてみました。
だいぶ前、太宰府天満宮の参道の天満宮寄りにあるお店が改修工事を
していました。その工事の足場を作る為に、トラックに積んである
丸い鉄パイプを屋根に登っている職人に投げる場面に
出くわしたのですが、3m程離れてある空間へ投げては
受け取る行為を繰り返します。
一回の失敗もなく、受け手の手に収まって行きます。
恐らく、お互いが相手の人柄や性格を熟知しているからこそ出来るのでしょう。
通りかかっていた東南アジアの若い男女何人かが一斉に拍手したのを覚えています。
生れて初めて観る光景だったのでしょう。
こうした鉄パイプを上の方に投げてはそれを受け取る行為は、日本人だけしか
出来ないのではないでしょうか。
3 今度は、魂同士がある仕方で触れ合っているから、精神的なちぢめるが
否定的な仕方で現われる場合を考えてみます。
知り合いの他者から何かを言われる(相手の顔を見たら何を考えているか判る)。
そしてはっきり、NO!と言うべきなのに言わない。相手の主張を
断わったら、ーーー と(変に)気遣ってしまう。
そして、後になって、もっと気まずいことが起こる(挙げ句の果て、
口をきかない関係になる)。あの時にNO!と言うべきだった!
例えば、市役所などの公的な機関や民間の会社企業においては、更に上司と部下との
人間関係(ちから関係?)が存在し、正しくないことの場合もその上司に
気遣ってしまう。
NO と言わない、言えないことから、気まずいこと以上の世界に
巻き込まれてしまう、そして悪しき従属関係を強めてしまう。
距離をちぁんと取れなくなり、そこから自身の病気、退職等の
自己を持ち続けることが不可能な闇夜が続いてしまう。
続けます
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