2020-06-23
ちぢめる 時間と時 六回目
🍅
1 ある国の文化について、全体的な視野を持って言及することは難しい(もう一回大学に入り、史学、歴史学の勉強をしなければならない?)。
「歴史」という新しい言葉が限りなく拡がった『時』を自分のちからで確保しないと
いけないからです。恐らく、ヒトの一生の仕事なのでしょう。
それでも、他の諸々の国の文化と区別されるその国特有の文化を
見つけようとすることは意味があると考えます。
ある国の文化の本質的なものには届かないとしても、その入口を見つける!
現象という言葉を使えば、ある国の文化の現象学的な考察を行なう。
しかしながら、他の諸々の国の文化と違うその国の文化と言うと、また堂々巡りに
なるかもしれませんネ。その他の国をどれだけ、知っでいる?
三回だけ、日本から外国に出ています、一つは香港とマカオに新婚旅行で行っています。
でも、留学のような長期の滞在経験は私には有りません。
結局、文化について語ることは、限られている事に成ります。
2 いま、日本の文化と言う時、日本以外の国との違いを挙げるとすれば、
どのようなことが言えるか?
この視座での端緒となる考察に他の国にには見つけることが出来ない文化を
考える、それが日本の場合、ちぢめる、縮小に求められないかと考えています。
(この考察を読んでいるひとが反論を加える形で、日本の文化について理解を
深めていただいたら、とても良いです)
3 ちぢめる、縮める文化とは、基本的には手先の器用な国民性から来るものと考えます。
それが、ただ手先の問題ではなく、私たちの人格や精神性、更に国の存続に関わります。
続けます。
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