2020-04-12

共同体と持続の視座からみる文化 時間と時  4回目

🗻
1  文化とは何か?
この『何か』とは重たい問いです。

普通、文化という言葉を何気なく使うヒトは、文化という言葉を知っているという
思い込みの中で生きていて、実際は単なる了解事項にしか属しません。

ところが、文化とは何か?とは、まさしく(文化が)それであるものについての
洞察力を要求します。
これは困難な、普通の唯の常識の中で生きているヒトに取って、
手に負えない事です。

特に、眼の前にある世界、そこで日々、流れている世界に
執着し、それをリアリティだ!と信じて生きている人間には、そうです。


それでは、文化とは何か?とはどうやって問題にすることが出来るのでしょうか?


わたしたちが経験主義的に知っていることを出発点として、
文化とは何かを探究していく道が、実は有ること、
これが、これからの主張の中身です。


2 何らかの仕方で『文化と呼ばれるもの(一例、今日では企業文化)』が、
そこにおいて「文化」だ、と積極的に主張出来る軸を
二つ、用意します。

一つは(文化の)質に関わるもの、他の一つは(文化の)持続性という時の視点です。

そして、ここで文化の質と呼ぶものをある何らかの共同体として把握するのが、
わたしの考察の大切な眼目です。

したがって、何らかの共同体の持続的な性格を文化だと考えられないか?と
考えているわけです。

今から、このことを思考のベースに置いて、先へ進んでみます。



3 まず、共同体とは差し当たり、最低二人また、それ以上の複数のヒトが居て、
これら複数の人間の間に見出されるある何らかの正しさ、
ある公正さだと考えます。
ところが、ここだけに共同体の意味を限定しないようにします。 

注意すべきことに、こうした共同体は共同体を創るひとの存在と
切り離せません。


例えば、故郷、家族、地域社会、学校、企業会社、ーー  国ーー

そうして、文化の意味内容を、共同体を創るひとの相対的な視座の
なかで肉付けします。

🎩🎩🎩続けます。








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