心に留まる恋愛映画(2) 2013-05-16 Thu
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1 ビィスコンティ監督作品、「夏の嵐」は恋愛を主題として描いた映画としては、
いま一歩だったかも知れません。
むしろ、貴族階級の滅びの映画として見たら好いかも知れません。
イタリアの国のある伯爵夫人が戦を交えている敵国オーストリアの将校と恋に陥ります。
そして、その恋ののめり込み方は、伯爵夫人の方がはるかに強かったようです。
その証拠に、将校が休暇が終わり、軍に復帰する時が来た時、伯爵夫人は
何と、その将校との愛を終わらせないで、その持続を望むのです。
実は正にその時、映画の局面は一変してしまいます。
2 将校はここで彼女を拒絶し、関係を清算すべきでした。
そのシーンに来ると、わたしは映画はここまでだ、と思いました。案の定、
医師を買収し、仮病を装い、伯爵夫人によって匿われた元将校は、
信じられない、変わり果てた人間に変身してしまうのです。
何故なら、元将校が恋を続けられる条件は、将校という身分が保証されて
いる時だけだったのです。彼女はこの事に気付くべきでした。
3 こころが醜く変容した甘い顔のオトコ、このオトコと逢う為に死に物狂いに
なって今日まで来たわたし。何と言うバカなわたし。
最後の密会の後、彼の裏切りに対して、夫人はオーストリア軍駐留司令部への
密告で答えます。
元将校は脱走兵として逮捕され、あっという間に、ついさっきまで味方だった
軍の仲間達による銃殺刑に処せられます。
淡々としたロングショットの映像は、監督の冷たい憎しみさえもを感じさせます。
4 戻りましょう。
二人の最後の密会の出逢いとなった一室に、元将校が呼んでいた女性が現れ
ました。夫人が予想もしなかった三人になりました。
伯爵夫人は、侮辱され屈辱を感じます。
ところが、その無垢な感じの(呼ばれていた)女性の美しいこと!
そして知的なこと!
5 恋はある人格、人格的なものを中心軸にして生起します。自分に欠けて
いる人格、人格的ものの自覚とその異性の現前化。この時に、持続した愛と
結婚への道が開かれ、また二人の愛が持続する習慣を通して育まれるのです。
ところが、人格的なものを忘却して相手に唯、囚われる時、得るモノは果たして
何かあるのでしょうか。滅びがあるのでしょうか。
しかし、わたしは変なことを言っている?
あなたは、いいえ、恋は人格的なことと関係がない、と、
考えておられるのでしょう。
近代人、そして滅びを気にしながら生きている現代人の
一人一人が、そこに居るまた、あそこに居るわたしたちかも
知れません。
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