2023-01-30

汝復讐することなかれ (その一)

1 やっと若松プロテスタント教会へ出していた

注文の本が自宅に着いた

 

去る115日に西日本新聞社 文化欄に比較的長い

記事が掲載され、購読を希望したぼくに直接、

出版社から送られてきた 

 

若松の教会の弁明では、注文が殺到して、

捌ききれなかったらしい

 

著者の吉田敬太郎(18991988)は、当時

有名な吉田磯吉の子供である

 

遠賀川界隈で船で石炭を運ぶ運送業の仕事をしていた

吉田磯吉は、そこからひととひとを執り成す親分、

九州一の大親分になって行く

 

これに対し、吉田敬太郎は経済的に恵まれていたが、

全体として波瀾万丈の人生を歩むのである

 

2 著者略歴を、解り易くした形で 紹介しますと、

次のように成ります

 

1899年 福岡県若松市に生まれる

1917  旧制小倉中を卒業

1923  東京商科大学(現一橋大学)卒業

1941  日本の真珠湾攻撃

1942  衆議院議員初当選 

1945  三月 軍の弾圧により臨時軍法会議によって

    投獄される

    十月に 終戦により出獄

1949  若松バプチスト教会牧師

1951  若松市市長当選

1962  若戸大橋が完成

1963  北九州五市が対等合併

    臨時市長を勤める

 

3 それで、汝復讐することなかれ とは

何を言っているのでしょうか。以下探究の

文です

 

194112月に、真珠湾奇襲攻撃で日本が始めた

アメリカ合衆国との戦争は暫くすると、旗印が

悪くなってしまう。

ところが酷い事に、東條内閣それに続く小磯内閣は、

追い詰められて行く日本の不利な戦況を国民に

知らせようとしないのです。

代わりに、高等警察の刑事、憲兵が国民一人一人を

監視する異常事態が起こります

 

国会議員である吉田敬太郎は、広い情報が入って来る為に、

近辺の人達に事実を知らせようとします。それは

公人の勤めだったのです

 

しかし、一人奮闘するも、遂に軍部に逮捕され一方的な

裁判のあげく福岡市内の獄中につながれてしまいます

 

4 ここ、獄中での七ヶ月間 吉田敬太郎は恐ろしい

死を経験するのです

 

以下次の記事をお待ちください

 

———間違いのお詫び 

投稿の記事 カメーリア

で、21日は日曜日の

22日の間違いでした

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