七月に逝去された松永先生の思い出で、一番最初に
浮かぶ記憶は、博士課程の試験に失敗した時のことである。
城南区の自宅に挨拶に行った。
大きな書庫をバックに、かれは De ente et essentia
について語られた。
De ente et essentia は、トマス・アクィナスの
20歳かそれに成らない年の若さで書かれた最初の
著作である。
『ぼくは、この本を何十回も読んだよ』
東京大学から「 知と無知 」と言う本を出されたが、
学会ではすべてのひとの発表を
理解できる器量の持ち主であった。
本棚にむづかしくて眠っている
「知と無知」を真剣に
読み直してみる時がやってきた。
こんにちは
返信削除大のイデア、とは大と言う言葉の本質を言います。つまり「それ」があるから大といえて「それ」がないならば大とは言えないものです。ですから大のイデア、本質を知りたければありとあらゆる大と言うものに絶対に共通して内包しているもの{それ」を見つければいいのです。しかしそれはなかなか難しい事です。
私はイデアの中のイデア、善のイデアを発見しましたのでよかったらブログを読んでね。
https://ameblo.jp/shinwood/entry-12277885699.html?frm=theme
https://ameblo.jp/shinwood/entry-12361959246.html?frm=theme
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削除何々であるは、それは 多くの仕方で理解すべきであり、実体的なものとそうでない付帯的なものに分けるべきです。広い仕方での理解で、何々である を理解すべきです。 したがって、本質 essentia は本来、広い意味での何々である を表す言葉で後世で自明のように使われている実体的な意味に限定すべきではありません。
返信削除上の意味で 何々の本質という表現は、使ったらいけないのです。
まだ、プラトンでは 本質とは使われていないからです。