9 知るの重みを守る為に、記憶力 を前面に出したい。
すると、私たちの考察場面は二つ有った。
あることを知る と自己を知るの 二つである。
そして、見るとしてのあることを知るは
必ずしも、記憶力が不可欠なものではない 。
しかし反面、自己を知るとは記憶力が不可欠である。
10 見るは、ある場合は既に見たことがあるものを
また見る。この見るはこの限り、それに呼応する
記憶力が不可欠である。
他の場合、見るは新しく初めて、見る。
つまり、見たことがない。そしてこの場合、
それの 記憶力が要らない。
11 ここで 記憶のちから を意味する記憶力とは、
記憶の持続のことであり、トマス・アクィナスの
概念を用いれば、記憶の habitus になる。
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