2019-04-23

トマス アクィナス の記事       続く


五百旗頭真 元防衛大学校 学長の、
エッセイは、あけすけで、読んでいて
楽しくなります。

戦後の混乱期、小学生の時に履いて
行く下着がなく、しかたなく妹の新しい
下着を履いて登校。
しかも、その色が何色だった、と言っても
白色。また、クラスの人間に
見つかった等々。

アメリカのハーバードに留学して、
アメリカに依る、戦後の日本の占領
政策に関しての権威者である
大学教授(神戸大学に勤務)が平気で、
昔の少し恥ずかしい思い出を書く。
他者からどう思われるかを凄く気にする
わたしたちの文化から判断すれば、
日本人離れしていらっしゃる、と思います。

「私の履歴書」を、私はこれまで30年以上
眼を通して来ましたが、本当に自由な感じなのです。
執筆している時に、同僚だった誰かが読むことを
念頭に置かないのかな?

その後、三月四月に書かれている二つの記事と
比較して観れば、如何に自由なひとであるかが
一目瞭然です。

さて、そして大きくなり、京都大学に一浪して、入る。

大学紛争の時、学生集会で全員で決議する、
デモンストレーションの行進は穏やかにやる!

ところが、そんなことは全然なかった
(ここで笑いました、そしてあの時代が、何処か
メチャ クチャの時代だったことを想い出します)。

さて、神戸商科大学、現在の神戸大学の教授であった
お父さんの写真が記事のなかに見出されるのだが、
御顔がもう平成の時代には見かけなくなった顔なの
です。

威厳そのもの、という御顔です。

いま、私の履歴書のトマス アクィナスとの関連を指摘すれば、
肝心な記事は、尊父は次のようなひとだった。
『仕事の完成より、仕事をする人の完成を説く』ー ー
という箇所です。

   父は経済の背後にある思想に関心を持ち、人格の尊厳を支える
   キリスト教所有権思想の研究、とりわけ中世のトマス
    アクィナスの研究に打ち込んだ。

私が想像するに、トマス アクィナスのハビトゥス
( 習慣 )論を踏まえて書かれているのではないか?
そのように推測してしまうほどの記事です。


過去、日本カトリックで大きな存在であった神学者
岩下壮一神父と並び、トマスを日本に紹介した稀有な
ひとではないか、と推測しています。

3 件のコメント:

  1. 仕事の完成と仕事をするひとの人格の完成を対立したものと捉えるのは全くの間違いで、仕事をするひとの人格のある完成を通して仕事の完成を考える、が
    深い理解です。

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  2. University of Notre Dame の
    神学大全の新英語の訳2018年は、お薦めです。インターネット上で閲覧可能。

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  3. 戦後の貧しい時代、着ていくものがなかった、パンツを含めて、が
    大切なことです。
    わたしは、カタカタの長靴を履いて小学校へ通った記憶を持っています。

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