2021-03-20
2021-03-13
祈りの詩
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あの日私たちは、波にのみこまれて
いく人々の手を掴み取って
救うことが出来なかった。
だから今度は、社会から分断されて
いく人々の手を握り締めて
離さないで。
みんながもっと自分を、他人を愛せる
世界を願っています。
そして私自身が、そうでありたい。
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上の短い詩は、福島県会津学鳳高等学校
平子七海さんの作品です。
この3月11日の、日本経済新聞社朝刊 七面下段
福島県の広告 ( あの日から10年になります⋯⋯⋯⋯⋯⋯)の
なかに挿まれた祈りの詩です。
何処かぎこちない点が、経験した苦しみの真実を
わたしたちに訴え掛けて来ます。
新聞のなかで、隙間のない文章を拡げて、
読みやすくしました。
🌼🌼🌼🌼🌼
息吹きの春先
写真は構図が決め手で、構図を定めるちからは
ひと理性だと考えます。
ただ、最近は、眼に入って来る色のコントラストに関心が向かいます。
そしてこれは、自然のなかに見つける他ない。。
特に、色の点でコントラストを成しているけど、
何とか、一性を保っている花の写真が気に入っています。
🍒🍒🍒
2021-03-07
🤗 深く考えることは好きですか? 再放送 2013ー01ー17
😉 深く考えることは好きですか?
美しい言葉を持っている小さな国で革命が起こりました。
新政府は大学教育における多くの文化系の科目の
名称を変えてしまいました。
例えば、哲学は Deep Thinking ② 、倫理学は Deep Thinking ③ と
呼ばれているのです。
一年後のある日、その国の有名なある大学の学長が、
新政府の政府高官に逢いに来て、頼みました。
DeepThinkingをもとあった名称の神学、
哲学そして、倫理学に変えてくれませんか?
その若い政府高官は尋ねました。
何故だ!
何故なら、よく学生は先生方に質問するのです!
深く考えることは好きですか?
或いは、あなたは本当に Deep Thinker ですか!
🏋️♀️🏋️♀️🏋️♀️
2021-03-06
🐾二つに分けて、生きる (4)
🐢 魂、心を大切にするとは 前にあるものの大切さ
1 今日の話は、古代ギリシャの哲学、特にソークラテスから
出て来たと考えられる、魂を大切にする(=魂の世話)と
いう考え方は、もしも、魂イクォール心 と見做すなら、
インド仏教の思想のなかにも見出される、
と言うことです。
ただ、それは端緒で、以下の話しの狙いは
別の所に有ります。
2 最初に、古代インド仏教言語に詳しい 中村 元編集の
「新 仏教語源散策」註1)からの引用を行ないます。
心という言葉が一心という言葉からくる、では、仏教では
一心とは何か。
引用です⊷⊶⊷⊶⊷⊶~⊷⊶⊷⊶註2)
いったい、仏教では原始仏教以来、心を非常に重視する。
原始仏教の聖典であるダンマ•パダ(「法句経」)は 次の言葉で始まっている。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって
つくり出される。
もしも、汚れた心で話したり、行なったりするならば、
苦しみはその人につき従う。――――一部省略――――
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって
つくり出される。
もしも、清らかな心で話したり、行ったりするならば、
福楽はその人につき従う。―――――一部省略――
3原始仏教では、心という言葉が使われても、
魂という言葉は使われない、と理解しています。
魂の語源に当たるギリシャ語のプシュケーは、風です。
遠くで木々が揺れている。その揺れ方を見て、
あ、風が吹いている、と理解します。
ひとと逢う時、あ、風が吹いている、あるいは
風が吹いていないという視点で、
そのひとの元気さを測ります。
そして、人生という時間のうねりの中で、
魂そのものを美徳的なものに仕上げる(反対に、
悪徳的な魂に堕とする)、ここに、ひとの人格の
存在(=人間で あ る )が見出されるのです。
このことをある仕方で導く言葉が、トマスの場合、
ハビトゥスという持続の概念です
4 2 で引用した聖典 ダンマ•パダの詩の美しい言葉
(少しも観念的でない、素朴さそのもの)に関して、
作者 末木文美士は次の要約をしています。
ここで、(一)心とは、われわれの普通の心と考えて良い。
ただ、以降の仏教哲学では、心の穢れた迷いの要素を
重視し、いかにそれに対処していくのかという面に
重点を置く傾向と、
心の中にある浄らかな悟りの要素を重視し、それを
引き出していこうとする方向に分かれるのであった。
5 今日は、二つの仕方で、こころを大切にして生きる意味を考えてみました。
こころを大切にする、の向こう側に、西洋ヨーロッパでは、
徳の確立や人格の成立というポジティブな方向性を感じます。
反対にこれから勉強予定の仏教哲学では、人間のこころの悪から
どうやって離れるのかが、まず大きな課題なのだ、と感じました。
6 これまでの主題は、思想と哲学は区別されるべきだ、でした。
哲学は網を造れる、その網とは、
言葉を大切にすること、そしてこの目的のため、
こころを大切にしなければならない、が
今日までの考察です。
まだ、更に造るべき網が有る?
実際に、何か網を考える事が出来たら、また書きます。
註1)中村元編著 新 仏教語源散策 東書選書100 1994年
註2)同書 196頁―200頁 参照
🙂🙃
2021-03-05
🦆嫌いな言葉 続きの続き 🦆
10 の続きーーーーーーーーー
意志は、理性がハビトゥスへと高まることが出来るのに対して、
善を常に志向できる ハビトゥスではないのです。
したがって、自分は善を志向して生きている、と考えていても、
意志が欲望へと転移してしまう危険にいつも、晒されています。
11 もしも、意志が善である!、持続的な仕方で善であるのであれば、
人生は理性だけで o k ! になるのでしょう。
しかしながら、そうであれば、ひとは理性だけでは不充分ではないか?
前々回、宗教という言葉がひとの理性を超えたもの、また優れたものとして
この世に現れて来る、と言ったことはある意味で正しいのではないか?
そこで、宗教という言葉を脇に措いて、信仰という言葉を持ちいて
信仰と意志を含めた理性が、協同し合う世界を次回、示してみます。
🙂
嫌いな言葉 続き🦆
7 ところが、ひとの理性を凝視して、理性とはどの様なものかを
考え始めますと、ひとの理性は万能ではないことに気付きます。
ここで大切なことは、魂の理性的な働きを
いわゆる理性ratio
(考える、計算する、推理する、洞察するーーーー)
と意志 voluntasとに別けて、思考出来るかどうかだと考えます。
つまり、善に関わることが出来る意志を、話の中心に置いて、
意志が行為のレベルでの善である、このことの実現の意味を
観てみましょう。
8 トマス・アクィナスの行為論 註)での考察の柱は、三つ有ります。
行為の到着点、行為の目的
行為そのもの
行為に付帯する善
行為の目的を考え、何をしたら良いかを考える。
そして、何をしたら良いかと切りはせない付帯的な善を重視する。
例えば、自分が選んだ大学の入試が今日ある。
ここでの目的は、志望学科へ合格することです。
その為に、答案を作成する。
そして、所定の時間内に書き終える、また、きれいな字を書く、⋯⋯⋯⋯
9 現代社会の特徴は、ある仕事をする際に、時間という要素を抜きにしては、
語れない点に有ります。ある会社が、仕事の受注をする際、
何月何日 何時までに完成する、また納品することが義務付けられます。
そうした契約が取り交わされます。
このことが出来ない場合には、あるペナルティーが課せられ、お金の問題へと
発展する事が起こります。
社会で働いているひとは、時間と闘って生きているのです。
10 何かを為す行為は、上で言及しています三つの柱が全部、
善である必要があります。これは、容易なことではないでしょう。
更に、ハビトゥスという持続の視点で、行為の意味を考えてみます。
行為のリアリティは、理性のちからである思慮・賢慮そして技術力が
主導し、経験という言葉が支配する世界です。
ところが、それでは意志に、善を志向するハビトゥス
追伸■■■
3月5日 斉藤由貴さんのラジオNHK朝9時台のトーク番組の
なかで、びっくりした情報を耳にした( 実は、ラジオを聴きながら、今日の投稿
記事を創っているいたのです)。
放送中の中で、東北地方在住の友人の作家は由貴さんに、電話で語りかけました。
『 今回のM 6台の地震で家屋の被害は、約10年前の東北大震災より
大きかった、家屋の被害だけに限定した話だけど。』
斉藤由貴さん、トーク番組の司会者も知らない
話で、二人がギョッとした雰囲気になりました。
今朝4時過ぎにニュージーランドの方の海でM8を超える大地震があって、
日本に津波が押し寄せないか、気にした時の情報でした。