1「人間はなにも知らないのに
かぎります」
「私は何も知らない人間の仲間です。
何も知らなければこそ、参謀総長に
もなり、陸軍大臣にもなり、大警視
にもなり、はなはなだしきは、
文部大臣にもなりました。
何も知りませんから、どんなところ
へも向きます」
「まことに重宝な人間でございます」
2 司馬遼太郎 坂の上の雲 の
一節からの引用である 註1)
この 坂の上の雲 4 という小説は、
日露戦争(1901~1904)の戦争
そのものを描く。
バルチック艦隊がロシアの
ペトルブルクを出港して、はるばる
アフリカ大陸の南端を通り、何と
日本海まで進み、そこで迎え撃つ
日本海軍との戦いを描いた小説
である
何と現代では、unbelievable な
小説である
だが、小説はその直前、旅順での
激戦を描く。
無能な司令官に代わり、一時の
司令を遂行する児玉源太郎、
彼の悪戦苦闘は、涙なしでは
読めないのだ
3 書き出しの大山巌の言葉註2)は、
私達矮小な人間を笑うようで、
何ともすがすがしい。
「私達の行為」の多くは、今日、
知っているという習慣に支えら
れているのですが、
しかし反面では、
「私達のあること」はある空洞の
ままです(また、知らないままです)
4 私の足は、その股関節部分に
まだある空洞が残るのか、
右足を少し引きづる感じです。
バス停で、座ったら?と言われる
ことが有りますが、暑くても、
立ったままです。
座ると、足が弱くなる感じです。
終る
註1) 司馬遼太郎 坂の上の雲
文藝春秋社 2004年
註2) 同書 102頁 103頁
💸ごめんなさい
訂正を忘れていました。
7月12日分は次のように直します
トマスか?
(変な日本語になっています)
2022-07-30
2022-07-24
完全さという言葉 1
1時間を拡げて考えてみるならば、
生の目的と呼ばれるものを思い
つかないひとはいないだろう
しかし、このことは慎重に考える
必要がある
普段、会社勤めをしているひとは
日々の自分の仕事を、その都度
片付けていくことが求められる
だろう。
そこでの支配的な価値観とは、
完全さかも知れない
ひとつひとつ、自分に与えられた
仕事を確実にミスをしない態度が
ないと、上司から信用を得ること
は出来ない
2 しっかりと、仕事をこなす生き方は
自己を高めることに繋がるが、
そこから、更に人生の目的とは何か?を考えることは、何か難しいことに
見えて来る
そもそも、時間、空間に限られた自分の仕事は、何日何時までに成し遂げることが課題になっている。
これに対して、人生の目的とは、
そうした時間、空間の枠から自由になっていて、その場面でこそ
この目的については考える必要が
あるのだ
だけど、第一、人生という言葉が
自分にまだ真に迫って来ないのでは
ないか
人生という言い方が自分に取り、
据わりが良くなるには、長い時間が
必要だ
このことだけでも、人生の目的という言葉は
意識になかなか、登ってこないように見える。
生の目的と呼ばれるものを思い
つかないひとはいないだろう
しかし、このことは慎重に考える
必要がある
普段、会社勤めをしているひとは
日々の自分の仕事を、その都度
片付けていくことが求められる
だろう。
そこでの支配的な価値観とは、
完全さかも知れない
ひとつひとつ、自分に与えられた
仕事を確実にミスをしない態度が
ないと、上司から信用を得ること
は出来ない
2 しっかりと、仕事をこなす生き方は
自己を高めることに繋がるが、
そこから、更に人生の目的とは何か?を考えることは、何か難しいことに
見えて来る
そもそも、時間、空間に限られた自分の仕事は、何日何時までに成し遂げることが課題になっている。
これに対して、人生の目的とは、
そうした時間、空間の枠から自由になっていて、その場面でこそ
この目的については考える必要が
あるのだ
だけど、第一、人生という言葉が
自分にまだ真に迫って来ないのでは
ないか
人生という言い方が自分に取り、
据わりが良くなるには、長い時間が
必要だ
このことだけでも、人生の目的という言葉は
意識になかなか、登ってこないように見える。
2022-07-18
💘💤まだ分からないこと(2)
1変な日本語であろう。前回の
存在のある、という表現である
でも、考察の流れとしたら、
仕方がないのだ。言葉がある、
その言葉のあることに向かう、
でも言葉を言葉たらしめている
のは、その存在である
だったら、そのあることが問題に
なる
だけど、存在をあると考えると、
あるのある となって、ますます
変である
2 次のように考えてみれば、
少しは明るくなる。
存在という言葉を、魂の存在と
限定して用いることだ。それ以外
の意味では使わないことだ
そして、魂の存在とは魂の経験を
意味する。ここが大切なところだ
3持続した仕方で、私達の魂が
経験しているものに眼を向けて
みたら良い。
思慮に代表される所のさまざまな
善、またこれと反対のさまざまな
悪徳
わたしは、habitus を通して
魂の完成した状態 perfectio
とこれの反対の状態を描くことが
トマス・アクィナスの哲学の目的
ではないかと観ている
存在のある、という表現である
でも、考察の流れとしたら、
仕方がないのだ。言葉がある、
その言葉のあることに向かう、
でも言葉を言葉たらしめている
のは、その存在である
だったら、そのあることが問題に
なる
だけど、存在をあると考えると、
あるのある となって、ますます
変である
2 次のように考えてみれば、
少しは明るくなる。
存在という言葉を、魂の存在と
限定して用いることだ。それ以外
の意味では使わないことだ
そして、魂の存在とは魂の経験を
意味する。ここが大切なところだ
3持続した仕方で、私達の魂が
経験しているものに眼を向けて
みたら良い。
思慮に代表される所のさまざまな
善、またこれと反対のさまざまな
悪徳
わたしは、habitus を通して
魂の完成した状態 perfectio
とこれの反対の状態を描くことが
トマス・アクィナスの哲学の目的
ではないかと観ている
2022-07-13
💘💤今も分からないこと
1ハビトゥスとは何かを、問うのに
「ハビトスで あ る」は何か?を、
問わなければならない。
一般的に言えば、Aとは何かとは、「Aである」とは何か?を問わな
ければならない?
2 アリストテレースと共に、
日常的な言葉に焦点を当てた
トマス。
そこから、アリストテレースと
共に哲学の意味合いを変えて
しまった トマスかかげか?か?か
トマスの思考の根底にあるもの
に眼が行くが、そこへ収斂する
それが浮かんでこない
3 言葉を言葉のあると一緒
に考えたひとか
しかし言葉には存在がつきまとう。
では、存在を存在のあると一緒
に考えて生きたひとか
4 存在と言葉の二つがトマスの
哲学の要であろうが、
これと分有が如何なる仕方で結び
つくのか
あと、10年掛かりそうだ!
続けます
「ハビトスで あ る」は何か?を、
問わなければならない。
一般的に言えば、Aとは何かとは、「Aである」とは何か?を問わな
ければならない?
2 アリストテレースと共に、
日常的な言葉に焦点を当てた
トマス。
そこから、アリストテレースと
共に哲学の意味合いを変えて
しまった トマスかかげか?か?か
トマスの思考の根底にあるもの
に眼が行くが、そこへ収斂する
それが浮かんでこない
3 言葉を言葉のあると一緒
に考えたひとか
しかし言葉には存在がつきまとう。
では、存在を存在のあると一緒
に考えて生きたひとか
4 存在と言葉の二つがトマスの
哲学の要であろうが、
これと分有が如何なる仕方で結び
つくのか
あと、10年掛かりそうだ!
続けます
2022-07-11
続 ハビトゥスの探究の始め 4
一 考察の端緒 — 既述している
ニ 広い意味での ハビトゥス —— ここからが新しいーー
1トマスは 「ハビトゥスである」とは、
何であるかをまず、広い意味で探究していくが、
この眼目は、そこからハビトゥスが派生した
そ れ としての 『持っている habere』の
言語使用 に関わっていました
つまりどのように habere は 用いられるか?
この分析のなか 持っていること が 、
A)何か あ る も のを持っている と
B) 何かあるものを持つのではなく、
自己を持っているse habere
に 分けられることが 指摘されるのです
そして、この B)の方の分析において、より深く、
持っているが 『あるものが 自分自身に対して、もしくは
他のものに対して、何らかの状態にある』と言われる
場合に 、ハビトゥスが 質 qualitas だという理解が
出てくるのです (49問題 第1項)
2 トマスが、habitus そのものの 言語使用に
言及するのは 第2項 であります
トマスはここで、ラテン語の habitus が
どの様に使われているかではなく、むしろ
アリストテレースの質としてのhexis に向かい、
それがどの様に 使われているかを注意する
仕方で、自分に固有な habitus を
確立しているようです
続きます
2022-07-07
続 ハビトゥス探究の始め 3
(前回続き2から始めます)
1次のように考えてみました
よく経験することの中で、
次の言語の言表に与かることが
起こりますが、気付いて居られる
でしょうか
美しい、しかし、その美しいものは
何だ
これは、あるものは美しい、と
いう表現が、述語部分の
美しいに集中、その後に主語に
気が赴く場面である
普通の論理が、壊された形で
あるものは美しい、が成り立つ。
例えば、美しい、あの演技は!と
驚く場面である!
普通の論理であれば、あるもの
(複数)は美しい、の一部面で
しかない。驚きのない場面で
ある
2 さてハビトゥスとは何かを
問うトマス・アクィナスの態度
とは、「あるものがハビトゥスで
ある」とは何かである
あるもの が消えたかのように、
「 ハビトゥスである 」、
とは何であるか
を問い正して行く
但し、規定された意味を持つ
ハビトゥスの主語としての
包括的なあるものについての
考察は、神学大全 第二ー一部
51問題から54問題で行われる
共通的な意味でハビトゥスで
ある、とは何であるかを
答えるもの、 これが
substantia ipsa habituum
であろう
続きます
1次のように考えてみました
よく経験することの中で、
次の言語の言表に与かることが
起こりますが、気付いて居られる
でしょうか
美しい、しかし、その美しいものは
何だ
これは、あるものは美しい、と
いう表現が、述語部分の
美しいに集中、その後に主語に
気が赴く場面である
普通の論理が、壊された形で
あるものは美しい、が成り立つ。
例えば、美しい、あの演技は!と
驚く場面である!
普通の論理であれば、あるもの
(複数)は美しい、の一部面で
しかない。驚きのない場面で
ある
2 さてハビトゥスとは何かを
問うトマス・アクィナスの態度
とは、「あるものがハビトゥスで
ある」とは何かである
あるもの が消えたかのように、
「 ハビトゥスである 」、
とは何であるか
を問い正して行く
但し、規定された意味を持つ
ハビトゥスの主語としての
包括的なあるものについての
考察は、神学大全 第二ー一部
51問題から54問題で行われる
共通的な意味でハビトゥスで
ある、とは何であるかを
答えるもの、 これが
substantia ipsa habituum
であろう
続きます
2022-07-02
正確さへの執念
1 三浦哲郎作 師・井伏鱒二の思い
出を読んでしまう註1)
よく知らなかった井伏鱒二の
人柄が良く描かれているのだ
先生は、将棋が好きなのだが、
将棋のなかで取ったコマは
全て、防御に使う。守りを
しっかり固める将棋をなさる
2 1961年に 忍ぶ川(がわ) で
芥川賞を取った三浦哲郎の
上の著作で、記憶に残った
言葉に 正確さへの執念みたい
なもの がある
井伏鱒二の生き方を言い表して
いる、と考えるが、作家と言う
より哲学者みたいだ。
3 一度読んだ 忍ぶ川 を
再読してみようと思う。
貧しさとそれにめげずに生きて
行く人間を描く小説家は
今日、いないかも知れない
註1 三浦哲郎(てつお)
師・井伏鱒二の思い出
新潮社 2010
💣前回の誤り
通りすがりが正しいです。
通りすぎりは良くないです
出を読んでしまう註1)
よく知らなかった井伏鱒二の
人柄が良く描かれているのだ
先生は、将棋が好きなのだが、
将棋のなかで取ったコマは
全て、防御に使う。守りを
しっかり固める将棋をなさる
2 1961年に 忍ぶ川(がわ) で
芥川賞を取った三浦哲郎の
上の著作で、記憶に残った
言葉に 正確さへの執念みたい
なもの がある
井伏鱒二の生き方を言い表して
いる、と考えるが、作家と言う
より哲学者みたいだ。
3 一度読んだ 忍ぶ川 を
再読してみようと思う。
貧しさとそれにめげずに生きて
行く人間を描く小説家は
今日、いないかも知れない
註1 三浦哲郎(てつお)
師・井伏鱒二の思い出
新潮社 2010
💣前回の誤り
通りすがりが正しいです。
通りすぎりは良くないです
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