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1 articulationという言葉は、普通、分節化と訳しますが、イメィジとしては、言葉を
紡ぐ、言葉が紡がれる世界を想像出来たら良いです。
articulus(英語で article)はラテン語で、或る場合項と訳しますが、
言葉の分節化のプロセスの中で出て来る言葉です。つまり、第一項、第二項、
第三項ーーーーーー註1)。
2 ヒトが言葉を話す、言葉を紡ぎ出す時に大切なことは、ある言葉、あるセンテンスと
次の言葉との間をどれだけ、離すことが出来るかです。
言葉が先へ、先へと流れる全体的な視点のなかでは、英語の and だけではいけない。
but が使える時に言葉を離すことが可能になります。前のセンテンスと今の新しい
センテンスが、「紡ぎ出される亅そのことが意味充実してくるのです。
3 文化と言う事で、いま日本という国の文化を考えています。具体的には、
他の国と日本を分かつことが出来る、そうした日本の固有な文化を見つけようと
しています。
今日は、日本語が日本とそれ以外の国を分かつことの意味を考えてみます。
いま、歴史の視座で日本語を考えてみますと、上で語っています言葉を
紡ぎ出すことがまだ、うまく行かなかった時代が有ります。
言葉を話すことは出来ても、それを書くことがなかった時代です。
即ち、書くことの前提である文字、日本語がなかった時代です。
ひとは言葉を話す相手、指導者の言葉を聴いたら、ひたすら、
その語られた言葉を口に出して、何回も暗唱する。記憶が、
こうした暗唱行為に依ってのみ保たれる。
想像力の豊かなわたしは、その時代、ヒトの耳が文字を持つようになった
古の人々また現代人よりも大きかった(勿論ウサギの耳までは大きくない)、
また語る所のヒトの口もより大きかった、と観ます。
4 中国の大陸から、中国語の文字、漢字が日本に入って来て、
ヒトは初めて、話すという言葉の紡ぎ方だけでなく、文字を用いて
言葉を書くことに依る言葉の紡ぎ出し方(そしてまた、読むという行為)が
始まります。
文字、書くことが日本独特の変容をその後遂げますが、にもかかわらず
日本人が書くことが出来るのは、当時の中国のお陰であり、書くことの師に
当たります。
理性的と言う言葉を使うなら、話すと書くという二つの重層的な行為に依って、
ひとは前より、リアリティにより深く与り、より理性的な人間に成ったと
考えられます。また、断然深まったのが、日本人の『記憶力』だと観られます。
更に補足すれば、書く行為、読む行為に付帯する言葉、記録、編集、日記、書類等々が、
日常的な身近な言葉になって行きます。
また、仕事として書く係(=物書き)が職業として出て来ます。
書くことの視座で日本語が把握される時に、日本の新しい歴史が
始まったと考えられます。
私達にとって周知の「万葉仮名」、「大和言葉」と言う日本語の成立は、
実は、新しい日本人の創造に深く関わっていたのです。
註)トマス アクィナスの事を考えていて、この意味での
articulus の先に『信仰箇条( articulus fidei)』があるのが
面白いです。
神への信仰が短くなった言葉、信仰箇条で言い表されるのです。
🐼🐼
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